石山合戦 その55
『信長の血判起請文』
ついに石山退去が決定し、3月17日、信長は血判起請文を朝廷に提出した。
これは勅使の手を経て顕如に渡され、現在、西本願寺に秘蔵されています。
織田信長(1534-1582年)

大要はつぎのとおりであった。
一、 全部のものの罪をゆるす。
一、 天王寺北城は、まず近衛家の人数に預け、大坂退城の時、太子塚を引き取り、講和使節団
を入れる。
一、 人質を遣わす。
一、 本願寺と末寺・門徒の往来は以前のとおり。
一、 加賀の江沼・能美2郡は、退城以後の態度を見て返付する。
一、 7月盆前に退却の処置を完了する。
一、 花熊・尼ヶ崎は大坂退城のとき渡すものとする。
3月17日 (信長)朱印
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
ついに石山退去が決定し、3月17日、信長は血判起請文を朝廷に提出した。
これは勅使の手を経て顕如に渡され、現在、西本願寺に秘蔵されています。
織田信長(1534-1582年)

大要はつぎのとおりであった。
一、 全部のものの罪をゆるす。
一、 天王寺北城は、まず近衛家の人数に預け、大坂退城の時、太子塚を引き取り、講和使節団
を入れる。
一、 人質を遣わす。
一、 本願寺と末寺・門徒の往来は以前のとおり。
一、 加賀の江沼・能美2郡は、退城以後の態度を見て返付する。
一、 7月盆前に退却の処置を完了する。
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