石山合戦 その59
『信長の幸運』
石山合戦が始まったとき、織田信長はまだ上洛したばかりの東海の一大名に過ぎなかった。
それが11年に渡り悪戦苦戦のすえ、ようやく勝利を手にすることができた。
織田信長(1534-1582年)

信長は今や28ヵ国の侍と百姓を支配し、天下統一の大事業は成功を目の前にしていた。
中世の最高権威である阿弥陀如来も、もはや武力と政治のまえに屈服し、法王国も毛利氏も急速に
解体か降伏に向かったのです。
こうなるまでに信長は苦難とともにいくつかの幸運に恵まれていた。
徳川家康いうよき盟友をもったこと、上杉謙信・武田信玄という強敵が死んでくれたことなどです。
とくに本願寺の衰運は信玄の死にはじまり、武田勝頼の長篠役の敗北で籠城に追いやられ、上杉謙
信の死によってまったく絶望状態に陥ったのです。
長い間、石山合戦にお付き合いいただきありがとうございました。
次回は、戦国時代の戦いを大きく変えた、鉄砲の伝来について勉強してみたいと思います。
よかったら、お付き合いよろしくお願いいたします。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
石山合戦が始まったとき、織田信長はまだ上洛したばかりの東海の一大名に過ぎなかった。
それが11年に渡り悪戦苦戦のすえ、ようやく勝利を手にすることができた。
織田信長(1534-1582年)

信長は今や28ヵ国の侍と百姓を支配し、天下統一の大事業は成功を目の前にしていた。
中世の最高権威である阿弥陀如来も、もはや武力と政治のまえに屈服し、法王国も毛利氏も急速に
解体か降伏に向かったのです。
こうなるまでに信長は苦難とともにいくつかの幸運に恵まれていた。
徳川家康いうよき盟友をもったこと、上杉謙信・武田信玄という強敵が死んでくれたことなどです。
とくに本願寺の衰運は信玄の死にはじまり、武田勝頼の長篠役の敗北で籠城に追いやられ、上杉謙
信の死によってまったく絶望状態に陥ったのです。
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次回は、戦国時代の戦いを大きく変えた、鉄砲の伝来について勉強してみたいと思います。
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