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明智光秀 season2 その15

『秀吉の備中高松城水攻め』

武田家の運命が天目山につきた頃、羽柴秀吉は姫路を出発して、山陽道を西に向かい、この方面の

毛利氏の前線拠点である備中高松城を目指した。

高松城は清水宗治の居城です。

清水宗治(1537-1582年)
si.清水宗治

剛名の名ある人物なので、秀吉は力攻めを避けたいと思って、岡山に到着すると黒田官兵衛と蜂須

賀正勝とを使者として遣わし、利害を説いて降伏するように勧めたが、宗治はキッパリとはねつけ

た。

しかたがない。

秀吉は岡山を出発して備中路に入り、高松城周辺の小城を片っ端から攻略し、高松城を孤立させて

おいて、包囲にかかった。

城を中心にして延々と26町という長堤を築き、足守川と長野川をせき止めて、有名な水攻めを始

めたのです。

おりからの梅雨、数日にして山々の麓と長堤に囲まれた平野は一面の湖水となり、城はその中心に

離れ小島のようにはかない姿になった。

「高松城危し!」

との報が毛利家に入ると、毛利家では小早川隆景と吉川元春とが先鋒部隊として繰り出し、高松付

近の山に本陣をかまえ、付近の山々に布陣した。兵およそ3万余り。

続いて毛利家の当主・輝元も出てきて、高松から6里ほどの猿掛山に陣取った。

この時秀吉が率いていた兵は、宇喜田秀家の兵1万を合わせて総勢で3万であった。

秀吉は1万を毛利勢にそなえ、2万をもって高松城の監視を厳重に続けた。



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robin 20200927



<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎)>
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