九州の群雄割拠 その52
『大友氏の近世大名化』
大友宗麟は豊前・筑前を確保することができたので、軍功のあった豊後玖珠郡の森・中島・野上・
問田、東国東郡の吉弘、宇佐郡の久保・衛藤その他の武士に対し、豊前・筑前において50町ある
いは5町の知行所を与えた。
臼杵城の宗麟のレリーフ(臼杵城登城記は「こちら」です。)

これは毛利対策の第一線の地域に新しい家臣団を創り出している著しい事実です。
相次ぐ戦闘、ことに戦勝による占領地に、一族または土豪を近世的家臣団として植え付けたのです。
こうして大友氏の大名領国制が近世化していった。
もまれる北九州は、それだけ早く近世封建社会に適合するようになった。
長い間、九州の群雄にお付き合い戴き、ありがとうございました。
島津氏については、別途、個別記事にしたいと思い割愛させていただきました。
次回は、北に眼を転じ奥羽の群雄を勉強してみたいと思います。よかったらお付き合いください。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
大友宗麟は豊前・筑前を確保することができたので、軍功のあった豊後玖珠郡の森・中島・野上・
問田、東国東郡の吉弘、宇佐郡の久保・衛藤その他の武士に対し、豊前・筑前において50町ある
いは5町の知行所を与えた。
臼杵城の宗麟のレリーフ(臼杵城登城記は「こちら」です。)

これは毛利対策の第一線の地域に新しい家臣団を創り出している著しい事実です。
相次ぐ戦闘、ことに戦勝による占領地に、一族または土豪を近世的家臣団として植え付けたのです。
こうして大友氏の大名領国制が近世化していった。
もまれる北九州は、それだけ早く近世封建社会に適合するようになった。
長い間、九州の群雄にお付き合い戴き、ありがとうございました。
島津氏については、別途、個別記事にしたいと思い割愛させていただきました。
次回は、北に眼を転じ奥羽の群雄を勉強してみたいと思います。よかったらお付き合いください。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
- 関連記事
-
- 九州の群雄割拠 その52 (2020/11/05)
- 九州の群雄割拠 その51 (2020/11/04)
- 九州の群雄割拠 その50 (2020/10/31)
- 九州の群雄割拠 その49 (2020/10/30)
- 九州の群雄割拠 その48 (2020/10/29)
スポンサーサイト