奥羽の群雄割拠 その8
『田村郡・石川郡・津軽地方の豪族』
田村氏は田村郡の開発領主で、坂上田村麻呂の子孫といい、田村荘司を称していた。
石川郡に住居した石川氏は石川有光を祖とする。
坂上田村麻呂(758ー811年)

有光は源頼親の次男・頼遠の子で、康平5年(1062年)の奥州征伐に軍功があり、石川の地を
賜わり、源義家にかわって仙道7郡を治めたという。
一説に有光は摂津の人で物部有光といい、義家に属して前9年の役に従軍したという。
いずれにしても源氏に縁のある武士で、平安時代から石川地方に居住していたのです。
岩城氏は桓武平氏の流れで、常陸国香の末裔で、文治のころ岩城清隆、嫡男・師隆の名が見えます。
藤原秀衡の娘・徳子が岩城氏に嫁ぎ、出家して白水阿弥陀堂を建立している。
奥州藤原氏ともゆかりのある開発土豪であった。
安東氏は安部貞任の子孫と称し、津軽地方を領有していた。
のちに下国・上国の両流に分かれ、幾多の転変を経て、子孫は秋田氏を称した。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
田村氏は田村郡の開発領主で、坂上田村麻呂の子孫といい、田村荘司を称していた。
石川郡に住居した石川氏は石川有光を祖とする。
坂上田村麻呂(758ー811年)

有光は源頼親の次男・頼遠の子で、康平5年(1062年)の奥州征伐に軍功があり、石川の地を
賜わり、源義家にかわって仙道7郡を治めたという。
一説に有光は摂津の人で物部有光といい、義家に属して前9年の役に従軍したという。
いずれにしても源氏に縁のある武士で、平安時代から石川地方に居住していたのです。
岩城氏は桓武平氏の流れで、常陸国香の末裔で、文治のころ岩城清隆、嫡男・師隆の名が見えます。
藤原秀衡の娘・徳子が岩城氏に嫁ぎ、出家して白水阿弥陀堂を建立している。
奥州藤原氏ともゆかりのある開発土豪であった。
安東氏は安部貞任の子孫と称し、津軽地方を領有していた。
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No title
piglet01さん、おはようございます。
またも漫画ですが..
政宗さまと景綱くんを丁度読んでて、
愛姫の輿入れで、田村家でてきて
あ~坂上田村麻呂か..古いっと
思ってたんですが、
岩城氏の常陸国香って、平将門と
敵対する平国香ですか?
またも漫画ですが..
政宗さまと景綱くんを丁度読んでて、
愛姫の輿入れで、田村家でてきて
あ~坂上田村麻呂か..古いっと
思ってたんですが、
岩城氏の常陸国香って、平将門と
敵対する平国香ですか?
三島の苔丸 さま
三島の苔丸さん、こんにちは。
詳しいですね~。
奥羽方面は分からなく、本当に勉強中です!
平国香と岩城氏について調べました。
少し長くなります。
岩城氏系図によれば、常陸・平国香の子孫安忠を祖とし、
その6代目にあたる隆行(成衡)が陸奥に下り、藤原清衡の
女婿となり、妻との間に五人の子供をもうけ、
長男の隆祐は楢葉郡に、次男隆衡(隆平)は岩城郡、三男隆久
は岩崎郡、四男隆義は標葉郡、五男隆行は行方郡をそれぞれ与え
られたそうです。
すなわち、隆行(成衡)の次男隆衡(隆平)が岩城氏の祖となり、
平安後期には岩城郡に本拠を構えて、一族を分立させながら村落
の開発を進め勢力を拡大してきたようです。
お陰様で勉強になりました。
ありがとうございます。
詳しいですね~。
奥羽方面は分からなく、本当に勉強中です!
平国香と岩城氏について調べました。
少し長くなります。
岩城氏系図によれば、常陸・平国香の子孫安忠を祖とし、
その6代目にあたる隆行(成衡)が陸奥に下り、藤原清衡の
女婿となり、妻との間に五人の子供をもうけ、
長男の隆祐は楢葉郡に、次男隆衡(隆平)は岩城郡、三男隆久
は岩崎郡、四男隆義は標葉郡、五男隆行は行方郡をそれぞれ与え
られたそうです。
すなわち、隆行(成衡)の次男隆衡(隆平)が岩城氏の祖となり、
平安後期には岩城郡に本拠を構えて、一族を分立させながら村落
の開発を進め勢力を拡大してきたようです。
お陰様で勉強になりました。
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