奥羽の群雄割拠 その12
『青森・秋田方面の豪族 その3』
十三湊の福島城に拠った安東盛季の弟・庶季(鹿季)があり、応永の初め、秋田の初め、秋田の
湯田湊(土崎)を攻略して湊安東家を興し、応永18年、三戸の南部守行と鹿角郡方面で交戦し
た。
南部守行(1359-1437年)

当時、秋田郡には有力な大名がいなかったので、湊安東氏はたやすく勢力を伸ばすことができた。
そうして庶季の子孫は代々秋田城介を名乗った。
一方、南部氏に亡ぼされた義季の子・政季は、実は潮潟重季の嫡男であったが、彼は難を逃れて
河北に入り、米代川の北部、檜山地方に勢力を求め、檜山安東氏の祖となった。
かくして津軽を追われた安東氏は、秋田に入って戦国大名に成長する基礎を築いた。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
十三湊の福島城に拠った安東盛季の弟・庶季(鹿季)があり、応永の初め、秋田の初め、秋田の
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南部守行(1359-1437年)

当時、秋田郡には有力な大名がいなかったので、湊安東氏はたやすく勢力を伸ばすことができた。
そうして庶季の子孫は代々秋田城介を名乗った。
一方、南部氏に亡ぼされた義季の子・政季は、実は潮潟重季の嫡男であったが、彼は難を逃れて
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