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奥羽の群雄割拠 その44

『大崎氏と葛西氏の抗争 その3』

大崎氏と葛西氏の抗争は、どのような経過をたどったのでしょう。

両氏の最初の衝突は、永享・嘉吉の兵乱の時と伝えられ、応仁元年(1467年)、文明元年(1

469年)にも衝突があったという。

寺池城
te.寺池城

文明4年(1472年)には迫川上流、磐井・栗原両郡の境にある流郷の境界についての争乱があ

り、以後、流郷やそれに隣接した三迫地方は、両者抗争の焦点となった。

ついで明応7年(1498年)大崎義兼の時、大崎領内に内乱が生じ、義兼は伊達成宗に援助を求

めた。

葛西領内でもこの内乱に呼応して騒擾がおき、葛西一族の薄衣氏は義兼に味方して、佐沼城を攻め

た。

葛西太守は薄衣城を攻めたが、磐井・本吉方面の領主は薄衣氏に味方する者もあって、領内は混乱

した。

永正12年(1515年)には登米郡吉田村で両氏の衝突があり、吉田は佐沼と登米(寺池)の中

間の土地で、佐沼は当時、大崎氏の領有であった。

ついで大永3年(1523年)7月、佐沼および深谷で両氏が交戦したという。

深谷は遠田・桃生の郡境です。

享録4年(1531年)8月には、佐沼城およびその四方の新田村付近で両者の戦闘があった。

その頃の葛西氏の当主は晴重、大崎氏は高兼でした。



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robin 20210112



<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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