奥羽の群雄割拠 その50
『大崎氏と葛西氏の抗争 その9』
天正14年には、本吉氏と歌津12人衆の対戦、江刺氏の反乱、翌15年には気仙郡の大身、浜田
城主・浜田広綱と本吉氏の抗争があり、浜田氏はしだいに専横となり、葛西晴信の指揮に服さなく
なった。
葛西17代当主・葛西晴信

天正16年に入ると晴信は全領の将士を動員して浜田氏の反乱を追討し、同年秋までには戦闘は終
わり、浜田氏は降伏した。
この反乱は浜田氏と本吉氏の紛争に端を発したもので、外部からの働きかけはなかったようですが、
南部氏はこの機会に乗じ斯波氏を攻略し、漁夫の利を得ています。
一方、葛西氏は1年がかりで浜田氏の大乱を平定し、地方における小領主的家臣の打倒に成功した
が、その成功は根本的でなく、領内の支配体制はまだ不十分であった。
天正16年(1588年)には、前記のとおり大崎氏にも内乱があり、この内乱を境に大崎氏の勢
力は衰え、戦国時代を通して繰り返された大崎・葛西の抗争も自然に終了となった。
天正17年4月には伊達・大崎両氏が和解し、伊達氏と同盟関係にある葛西氏も、必然的に大崎氏
と休戦状態になっています。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
天正14年には、本吉氏と歌津12人衆の対戦、江刺氏の反乱、翌15年には気仙郡の大身、浜田
城主・浜田広綱と本吉氏の抗争があり、浜田氏はしだいに専横となり、葛西晴信の指揮に服さなく
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葛西17代当主・葛西晴信

天正16年に入ると晴信は全領の将士を動員して浜田氏の反乱を追討し、同年秋までには戦闘は終
わり、浜田氏は降伏した。
この反乱は浜田氏と本吉氏の紛争に端を発したもので、外部からの働きかけはなかったようですが、
南部氏はこの機会に乗じ斯波氏を攻略し、漁夫の利を得ています。
一方、葛西氏は1年がかりで浜田氏の大乱を平定し、地方における小領主的家臣の打倒に成功した
が、その成功は根本的でなく、領内の支配体制はまだ不十分であった。
天正16年(1588年)には、前記のとおり大崎氏にも内乱があり、この内乱を境に大崎氏の勢
力は衰え、戦国時代を通して繰り返された大崎・葛西の抗争も自然に終了となった。
天正17年4月には伊達・大崎両氏が和解し、伊達氏と同盟関係にある葛西氏も、必然的に大崎氏
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