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奥羽の群雄割拠 その51

『伊達氏をめぐる抗争 その1』

伊達氏は奥羽の中央部に位置を占め、室町の初期すでに将軍家と結び、鎌倉公方に独力で対抗する

勢いを示したという。

その後も着々と領域を拡大し、14代稙宗に至って四隣に雄飛した。

永正11年(1514年)、最上氏と村山郡長谷堂に戦って敵を斬ること1千、長谷堂城を攻略し

た。

伊達氏14代当主・伊達稙宗(1488ー1565年)
da.伊達稙宗

この前後、高楡城を攻めて、上山・天童に進撃したと伝わりますが、いずれにしても最上氏との間

に戦闘が交えられたのは事実なのでしょう。

大永2年(1522年)奥州探題に任ぜられ、天文元年(1532年)居城を梁川から西山に移し、

同2年、家老6人連判の質物交易法を定めている。

ついで5年には式目169ヶ条、いわゆる『塵芥集』を制定し、道理にもとづいて理非を決断すべ

き旨の誓約起請文を、12人の家老評定人とともに署名、公布している。

この年、大崎氏に内乱が起り、泉沢城主・新田頼遠が、氏家・古川・高泉・一迫の諸氏と結んで大

崎義直に離反し、義直の軍を破ったので、義直は稙宗に援助を求めた。

稙宗はみずから3千の兵を率いて出陣し、6月、志田郡師山町に入り、19日、叛将・古川持煕が

守る古川城を攻撃し、21日陥落させた。

城主・持煕は一族とともに戦死し、城兵の死者は5百人であったという。

7月に入り、岩手沢城を攻撃し、9月11日、城主・氏家直継は降伏、元凶の新田頼遠は最上に逃

亡し、大乱を鎮定した。



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robin 20210119




<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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