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奥羽の群雄割拠 その80

『大浦為信の出現 その7』

一方、南部信直は前田利家を通じて秀吉に使者を送り、地位の保証を得ていたが、天正18年(15

90年)4月上旬、小田原参陣のため士卒1千人を率いて、出羽仙北を通って小田原に向った。

小田原征伐
od.小田原合戦 000

信直としては大浦為信の反逆を訴え、秀吉の裁断によって津軽の旧領を回復しようと考えた。

ところが仙北において、為信の母が、儀仗に杏葉の紋をつけて帰国するのに出会った。

杏葉は近衛家の紋です。

これを見て信直は、津軽氏が早くから、秀吉と親しい近衛家にも手を廻していたことを知った。

4月24日、武蔵八王子で前田利家に面会、ついで秀吉に謁し、浅野長政によって為信の謀反を陳情

したが、すでに為信には朱印状も与えてあるので、秀吉がとりあげることにはならなかった。

為信が南部氏の家臣であったことは間違いないが、津軽はもともと安東氏の所領で南部氏の本領では

なく、かつ戦国末になると南部氏の内紛により統治が徹底しなくなったのであるから、民心を把握し

た為信が自立を計ったのは、謀反とか反逆とか称すべきことではなかった。

しかし、南部氏は為信の行為を憤慨し、仇敵視して、維新の時まで両藩士民に往来を絶っていたとい

います。



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robin 20210220




<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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