奥羽の群雄割拠 その90
『伊達政宗、人取橋の戦い その1』
天正12年(1584年)10月、伊達輝宗が隠居し、18歳の嫡子・政宗が家督を継ぎ、伊達氏
17代の当主となった。
伊達政宗(1567-1636年)

政宗は勇気と智謀とを兼備した名将で、鎌倉以来蓄積した勢力を基盤に、奥羽中央から南部にかけ、
最大の統一勢力を形成することに成功した。
政宗の治府は置賜郡の米沢であり、伊達・信夫はその根拠地、刈田・柴田・亘理・伊具の諸郡は稙
宗・晴宗以来つちかった勢力範囲であった。
宮城の国分・留守両氏は縁組関係によって一門同然の間柄であり、葛西氏とは同盟を結んでいた。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
天正12年(1584年)10月、伊達輝宗が隠居し、18歳の嫡子・政宗が家督を継ぎ、伊達氏
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伊達政宗(1567-1636年)

政宗は勇気と智謀とを兼備した名将で、鎌倉以来蓄積した勢力を基盤に、奥羽中央から南部にかけ、
最大の統一勢力を形成することに成功した。
政宗の治府は置賜郡の米沢であり、伊達・信夫はその根拠地、刈田・柴田・亘理・伊具の諸郡は稙
宗・晴宗以来つちかった勢力範囲であった。
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