島津義弘の関ケ原 その16
『関ケ原戦いの前夜 その11』
島津義弘の憤りをよそに、秀吉恩顧の将たちは分裂していた。
会津遠征に向かう家康には、秀頼の名代という大看板がある。
福島正則(1561ー1624年)

秀吉子飼いの福島正則らの有力諸大名も家康の下に従軍している、その総数は軽く10万を超えて
いたといます。
上杉反乱を見事に逆手にとって、家康は強大な軍事力を難なく麾下におさめていた。
「好機だ!」
家康はそう見た。
大坂城を出て、畿内から兵を引けば、知略家の石田三成が必ずや事を起こすであろう。
いつも先に仕掛けるのが家康の常であった。
一方、三成も好機到来と読んだ。
「千載一隅の時が来た!」
重石がとれた気分だった。
6月18日、徳川軍は会津をめざし進発し、いっせいに目の前から消え失せたのです。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>
島津義弘の憤りをよそに、秀吉恩顧の将たちは分裂していた。
会津遠征に向かう家康には、秀頼の名代という大看板がある。
福島正則(1561ー1624年)

秀吉子飼いの福島正則らの有力諸大名も家康の下に従軍している、その総数は軽く10万を超えて
いたといます。
上杉反乱を見事に逆手にとって、家康は強大な軍事力を難なく麾下におさめていた。
「好機だ!」
家康はそう見た。
大坂城を出て、畿内から兵を引けば、知略家の石田三成が必ずや事を起こすであろう。
いつも先に仕掛けるのが家康の常であった。
一方、三成も好機到来と読んだ。
「千載一隅の時が来た!」
重石がとれた気分だった。
6月18日、徳川軍は会津をめざし進発し、いっせいに目の前から消え失せたのです。
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<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>
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