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秀吉にまんまとはめられた 滝川一益

『秀吉にまんまとはめられた 滝川一益』

1583年2月 豊臣秀吉は伊勢の滝川一益を攻撃した

伊勢亀山城主・関盛信が姫路城に豊臣秀吉を訪問している留守に家臣の岩間三太夫がクーデター

を起こし 滝川一益に協力を求めたのがきっかけだった

一益にすれば盟友の柴田勝家が雪に閉ざされて出兵できないこの時期に兵を挙げてもまったく勝算

はなく できれば春になって雪が溶けるまでジッとなりを潜め 勝家の挙兵に呼応するようにして秀吉

を挟み撃ちにしたいところだ

滝川一益(1526-1586年)
滝川一益

一方 秀吉にすれば挟み撃ちだけは何としても避けたいところだ 降伏したとはいえ織田信孝も勝家

と一益が起てば 再び打倒秀吉の兵を挙げるだろう これはなんとしても雪が溶ける前に一益の勢力

を弱めておく必要があった

秀吉は1月5日に姫路城を出立すると 安土城で蒲生氏郷らと合流したが すぐに一益を攻撃すること

はなかった 雪に閉じ込められている柴田勝家が万一動いた場合の備えの準備を講じていたのだ

秀吉は越後の上杉景勝に使者を送り 勝家を後方からかく乱するよう依頼した このため勝家は後の

出陣に際して 佐々成政を上杉軍の押さえとして残さなければならなくなったのである

上杉景勝(1556-1623年) 佐々成政(1536?-1887年)
  上杉景勝        佐々成政

さらに秀吉は天神山と茶臼山に砦を築くように命じている どうやら秀吉はこの時点で勝家との決戦の

場を賤ヶ岳周辺と想定していたようだ

勝家に対する備えが万全になったのを見届けて秀吉は2月7日 7万5千の兵を率いて佐和山城を出陣 

軍勢を三手に分けて伊勢に攻め入った

対する一益軍は総勢6千 これではまったく勝負にならない

亀山城は山内一豊によって落とされ この間に峰城・国分城・関城も陥落した

亀山城(明治5年の写真)
亀山城 明治5年

ここに至って 一益は完全に秀吉にはめられたことを悟った 越前の勝家に何度も使者を遣わし救援

を発したが 雪で交通を遮断された勝家が動ける筈もなく無駄な悪あがきだった

「猿め こしゃくな真似を」

勝家はうなり声を上げるしかなかった 殆ど実効のない和平策を頼みに雪国に引き揚げてしまったツケ

が回ってきたのである

「正直者がバカを見る」の典型であった

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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解: 大名の家臣団となる
        秀吉の命令で海賊禁止令が出て、村上海賊は毛利家の水軍に、松浦党は平戸・松浦氏の
        家臣団になっています。

≪本日の問題≫


                 本記事は「豊臣家を滅ぼしたのは北政所だった!」(ぶんか社文庫)を要約して記事にしております。
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