島津義弘の関ヶ原 その174
『必死は必生につながる その10』
「勤め人は、主人からもらう禄高をすべて使いきらねばならない。自身や子孫のために金を残すのは、
主人の禄を盗むのにひとしい」
三成には金銭への欲がない。
水口城

まだ、水口4万石の小領主にすぎなかった時代、禄高の1万5千石を割いて島左近を迎えたのも、秀
吉への忠節心のあらわれだった。
また、三成は和漢を学びおさめ、教養が高かったという。
主人・秀吉の望むことを先に読んで実行した。それを鼻持ちならず『茶坊主』と見る者も多い。
奉行職の三成は、傲慢な豊臣家の武将たちにはきびしくあたっていた。
そのかわり、敗者や弱者への思いやりはが深い。稲枯れや朝鮮出兵で財政難に陥った島津氏に、さり
げなく多額の援助金を貸与してくれたのも石田三成であった。
『三成には恩義がある』
最終的には、その一点で島津義弘は西軍についたのでしょう。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>
「勤め人は、主人からもらう禄高をすべて使いきらねばならない。自身や子孫のために金を残すのは、
主人の禄を盗むのにひとしい」
三成には金銭への欲がない。
水口城

まだ、水口4万石の小領主にすぎなかった時代、禄高の1万5千石を割いて島左近を迎えたのも、秀
吉への忠節心のあらわれだった。
また、三成は和漢を学びおさめ、教養が高かったという。
主人・秀吉の望むことを先に読んで実行した。それを鼻持ちならず『茶坊主』と見る者も多い。
奉行職の三成は、傲慢な豊臣家の武将たちにはきびしくあたっていた。
そのかわり、敗者や弱者への思いやりはが深い。稲枯れや朝鮮出兵で財政難に陥った島津氏に、さり
げなく多額の援助金を貸与してくれたのも石田三成であった。
『三成には恩義がある』
最終的には、その一点で島津義弘は西軍についたのでしょう。
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<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>
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