島津義弘の関ヶ原 その301
『武士の意気地を見るべし その47』
遠く近く、関ケ原の広野に戦闘中止の法螺貝が鳴り渡った。
戦は集結し、東軍の追撃も終わった。
関ケ原激戦の地碑

いつしか雨も上がり、山の稜線が真っ赤な夕焼けで染まっている。
もっとも長い一日が暮れようとしていた。
義弘は山駕籠から下りて、いちど大きく背伸びした。
「天地よく知る・・・」
低くつぶやき、ゆったりと美濃の山野を見回した。
壮絶な敵中突破は成った。
半月後の9月29日、島津義弘は無事に自領の日向細島へ帰り着いた。
敗軍の帰路は困難をきわめた。
伊勢から海路をとれば安易に帰国できたが、義弘はわざわざ陸路をとって上方に向かったのです。
義弘は老いた妻を見捨てるような男でなく、家康の目が光る危険地帯に押し入った。
人質となっていた夫人を住吉で奪還し、堺港から乗船して一路、故国をめざした。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>
遠く近く、関ケ原の広野に戦闘中止の法螺貝が鳴り渡った。
戦は集結し、東軍の追撃も終わった。
関ケ原激戦の地碑

いつしか雨も上がり、山の稜線が真っ赤な夕焼けで染まっている。
もっとも長い一日が暮れようとしていた。
義弘は山駕籠から下りて、いちど大きく背伸びした。
「天地よく知る・・・」
低くつぶやき、ゆったりと美濃の山野を見回した。
壮絶な敵中突破は成った。
半月後の9月29日、島津義弘は無事に自領の日向細島へ帰り着いた。
敗軍の帰路は困難をきわめた。
伊勢から海路をとれば安易に帰国できたが、義弘はわざわざ陸路をとって上方に向かったのです。
義弘は老いた妻を見捨てるような男でなく、家康の目が光る危険地帯に押し入った。
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<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>
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