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島津義弘の関ヶ原 その302

『武士の意気地を見るべし その48』

故国に帰った義弘は表舞台から姿を消し、桜島に蟄居した。

島津氏は恭順の意を示したが、だが国境を兵で固め、いつで敵を迎え撃つ気概を忘れなかった。

井伊直政(1561-1602)
ii.井伊直政
※直政は、島津軍から受けた鉄砲傷がもとに、関ケ原の戦いの2年後に没したといわれます。

島津義弘への処置は、勝者・家康に残された最大の悩みであった。

勇敢な島津は、毛利や上杉とは家風が違う。

大減封に素直に従うとは思えなかった。

南九州の全面鎮圧には多大な犠牲が伴う。

島津はいつも意外な出方をする。

義弘は、家督をゆずった島津忠恒に不可思議なことを提案した。

「井伊直政にすがれ」

「父上、何を申される。井伊直政こそ家康の腹心。関ケ原では追撃され、もっとも烈しい矛を交えた

相手ではごわはんか」

「血を流し合った仲なればこそ、人の情けも通うというものじゃ」

「そげですか」

忠恒は奇策にのった。

井伊直政に嘆願書を送り、一心に謝罪を述べたという。



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robin 20220215




<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>


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