徳川家光 その36
『美少年を寵愛』
家光の逸話として後世に伝わっていることは、その多くが感心できないものが多いです。
少し、その例を挙げてみましょう。
堀田正盛(1609-1651年)

家光は若い頃、女にたいして全然関心がなく、美少年ばかりを寵愛していたという。
彼の寵童は多数いるが、最も有名なのは堀田正盛と酒井重澄の2人です。
堀田は春日局のまま孫で、その養子分となった人物で、あとで老中になっています。
酒井重澄は本来は酒井姓ではなく、飛騨国守であった金森可重の7男であったが、非常に美少年
だったので、家光に寵愛された。
徳川家において酒井という苗字は容易ならないものであるのに、寵愛のあまりにその名前を名乗
らせ、3万石の大名にまで取り立てています。
この重澄が病気で引きこもっている間に、妻や側室に子供を生ませたことが家光にわかったので、
家光は嫉妬し、重澄を備後福山の水野日向守にあずけ、家は改易にしたという。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
家光の逸話として後世に伝わっていることは、その多くが感心できないものが多いです。
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堀田正盛(1609-1651年)

家光は若い頃、女にたいして全然関心がなく、美少年ばかりを寵愛していたという。
彼の寵童は多数いるが、最も有名なのは堀田正盛と酒井重澄の2人です。
堀田は春日局のまま孫で、その養子分となった人物で、あとで老中になっています。
酒井重澄は本来は酒井姓ではなく、飛騨国守であった金森可重の7男であったが、非常に美少年
だったので、家光に寵愛された。
徳川家において酒井という苗字は容易ならないものであるのに、寵愛のあまりにその名前を名乗
らせ、3万石の大名にまで取り立てています。
この重澄が病気で引きこもっている間に、妻や側室に子供を生ませたことが家光にわかったので、
家光は嫉妬し、重澄を備後福山の水野日向守にあずけ、家は改易にしたという。
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