蒲生氏郷 その24
『小牧・長久手の戦』
勝家が亡んだ翌年4月、秀吉は信長の次男・信雄に頼まれた徳川家康と。尾張・伊勢の野で戦い、
ついに小牧・長久手の合戦に発展していった。
長久手古戦場跡(長久手古戦場訪問記は「こちら」です。)

この戦争は家康6分、秀吉4分の戦績で、秀吉にとっては名誉ある戦いではなかったが、氏郷は
秀吉方として、諸所の戦いで度々武功を立てています。
氏郷記にある話は、こうです。
秀吉が徳川勢を追って清州城の塀ぎわまで追い詰めたが、そこを退却するにあたって、しんがりを
誰にしようか、へたをすると敵に追撃されると思いなやんだ末、
「氏郷つかまつれ」
と命じたところ、氏郷は
「かしこまりました。心やすく思召され候え。敵が出てまいりましたなら、ひとまくりにまくり返
し申しましょう」
と答え、見事に役割を果たしたという。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
勝家が亡んだ翌年4月、秀吉は信長の次男・信雄に頼まれた徳川家康と。尾張・伊勢の野で戦い、
ついに小牧・長久手の合戦に発展していった。
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この戦争は家康6分、秀吉4分の戦績で、秀吉にとっては名誉ある戦いではなかったが、氏郷は
秀吉方として、諸所の戦いで度々武功を立てています。
氏郷記にある話は、こうです。
秀吉が徳川勢を追って清州城の塀ぎわまで追い詰めたが、そこを退却するにあたって、しんがりを
誰にしようか、へたをすると敵に追撃されると思いなやんだ末、
「氏郷つかまつれ」
と命じたところ、氏郷は
「かしこまりました。心やすく思召され候え。敵が出てまいりましたなら、ひとまくりにまくり返
し申しましょう」
と答え、見事に役割を果たしたという。
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<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
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