蒲生氏郷 その32
『秀吉の親征』
秀吉は翌年春、親征の途につき、3月25日に赤間関についた。
秀吉が九州に着いた時、北九州に出張っていた島津勢は、北九州を去って薩摩・大隅・日向の南半
に引き上げてしまっていた。
秋月城

島津に征服されて間のない北九州の諸豪が、秀吉が来ると聞いて、安心ならない様子を見せ始めた
ので、本国で戦うのが有利と見たのでしょう。
ところが、この北九州に2つだけ島津方の城があった。
ひとつは筑前の秋月城であり、ひとつは豊前の巌石城です。
両城とも秋月の秋月種実の持城です。
島津氏に対してなにか特別な義理か友愛があったのでしょう。
争って秀吉に降伏を申し送る北九州の諸豪の中で、ただひとり反抗の色を見せ、両城を堅固に守っ
ていた。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
秀吉は翌年春、親征の途につき、3月25日に赤間関についた。
秀吉が九州に着いた時、北九州に出張っていた島津勢は、北九州を去って薩摩・大隅・日向の南半
に引き上げてしまっていた。
秋月城

島津に征服されて間のない北九州の諸豪が、秀吉が来ると聞いて、安心ならない様子を見せ始めた
ので、本国で戦うのが有利と見たのでしょう。
ところが、この北九州に2つだけ島津方の城があった。
ひとつは筑前の秋月城であり、ひとつは豊前の巌石城です。
両城とも秋月の秋月種実の持城です。
島津氏に対してなにか特別な義理か友愛があったのでしょう。
争って秀吉に降伏を申し送る北九州の諸豪の中で、ただひとり反抗の色を見せ、両城を堅固に守っ
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