蒲生氏郷 その63
『会津は東北の要鎮』
小田原城の落城は、7月6日であった。
秀吉は兵を率いて奥州に入り、会津まで行って大いに奥州人に兵威を示し、会津で奥羽地方の土地を
処分した。
会津若松城

その内容は、陸前名生城の大崎氏、同登米の葛西氏等を断絶にして所領を没収し、あとは木村吉清
父子に与えたが、その際、会津に氏郷を転封することにした。
この時のこととして、こんな話が伝わります。
秀吉は諸将を集め、
「会津は東北の要鎮である。よほどにすぐれた者を置かねばならぬ。誰を置いたらよいか、その方ども
遠慮なく意見を書いてみよ」
と、入札させてにたところ、細川忠興しかるべしと書いたものが十中九までであった。
秀吉は笑って、
「わいの知恵の底が見えるわ。おれが天下取ったわけよ。ここは蒲生忠三郎のほかにおくべき者はない
わ」
と言って、氏郷に決めたという。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
小田原城の落城は、7月6日であった。
秀吉は兵を率いて奥州に入り、会津まで行って大いに奥州人に兵威を示し、会津で奥羽地方の土地を
処分した。
会津若松城

その内容は、陸前名生城の大崎氏、同登米の葛西氏等を断絶にして所領を没収し、あとは木村吉清
父子に与えたが、その際、会津に氏郷を転封することにした。
この時のこととして、こんな話が伝わります。
秀吉は諸将を集め、
「会津は東北の要鎮である。よほどにすぐれた者を置かねばならぬ。誰を置いたらよいか、その方ども
遠慮なく意見を書いてみよ」
と、入札させてにたところ、細川忠興しかるべしと書いたものが十中九までであった。
秀吉は笑って、
「わいの知恵の底が見えるわ。おれが天下取ったわけよ。ここは蒲生忠三郎のほかにおくべき者はない
わ」
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