蒲生氏郷 その64
『氏郷の野望』
また、一説では、秀吉が徳川家康に向かって
「誰が良いと思わっしゃるか、ひとつお互いに見せ合うてみましょう」
といって、互いに書いて交換してみると、秀吉の札には『1番・堀久太郎、2番・蒲生』とあり、家
康のには『1番・蒲生、2番・堀』とあったという。
徳川家康(1543-1616年)

この任命を受けた後、氏郷が会津城の広間の柱により、涙ぐんでいる様子なので、山崎右近という者
が側により
「大封を受けられ、感涙にむせばるること、ごもっともに存ずる」
というと、氏郷は小声で
「さようにてはなし、小身なりとも都近くいただば、天下に望みを掛けることも出来るが、なにほど
大身になったとて、片田舎人となってはいたし方はない。われらはすたり者になったと思い、不覚の
涙をもうようしたのである」
といった有名な話があります。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
また、一説では、秀吉が徳川家康に向かって
「誰が良いと思わっしゃるか、ひとつお互いに見せ合うてみましょう」
といって、互いに書いて交換してみると、秀吉の札には『1番・堀久太郎、2番・蒲生』とあり、家
康のには『1番・蒲生、2番・堀』とあったという。
徳川家康(1543-1616年)

この任命を受けた後、氏郷が会津城の広間の柱により、涙ぐんでいる様子なので、山崎右近という者
が側により
「大封を受けられ、感涙にむせばるること、ごもっともに存ずる」
というと、氏郷は小声で
「さようにてはなし、小身なりとも都近くいただば、天下に望みを掛けることも出来るが、なにほど
大身になったとて、片田舎人となってはいたし方はない。われらはすたり者になったと思い、不覚の
涙をもうようしたのである」
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