蒲生氏郷 その65
『会津転封を喜ばない氏郷』
松坂は12万石ですが、会津は蒲生氏郷記によると70万石とあり、蒲生軍紀には42万石とあり、
いずれにしても飛躍的な増封です。
しかし、氏郷が会津転封を喜ばなかったことは事実のようです。
伊達政宗(1567-1636年)

秀吉が氏郷を会津に封じたのは、氏郷を敬遠したのだという説が昔からあります。
それもあったのでしょう。
氏郷は小身であるが、年若くして大器である。
故・信長の娘婿でもあるのです。秀吉が気を許せなかったのも無理はない。
しかし、秀吉としては優れた人物を会津に置く必要があったのです。
伊達政宗という人物が油断もすきもならないうえに、奥州は新付の地です。
うっかりすると肥後のように一揆さわぎなど起こるかも知れない。
また何よりも、難物は徳川家康です。
秀吉は武力をもっては家康に勝っていないのです。
しかもその財力、その武力は諸大名中ずば抜けている。
油断のならないことは言うまでもありません。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
松坂は12万石ですが、会津は蒲生氏郷記によると70万石とあり、蒲生軍紀には42万石とあり、
いずれにしても飛躍的な増封です。
しかし、氏郷が会津転封を喜ばなかったことは事実のようです。
伊達政宗(1567-1636年)

秀吉が氏郷を会津に封じたのは、氏郷を敬遠したのだという説が昔からあります。
それもあったのでしょう。
氏郷は小身であるが、年若くして大器である。
故・信長の娘婿でもあるのです。秀吉が気を許せなかったのも無理はない。
しかし、秀吉としては優れた人物を会津に置く必要があったのです。
伊達政宗という人物が油断もすきもならないうえに、奥州は新付の地です。
うっかりすると肥後のように一揆さわぎなど起こるかも知れない。
また何よりも、難物は徳川家康です。
秀吉は武力をもっては家康に勝っていないのです。
しかもその財力、その武力は諸大名中ずば抜けている。
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