蒲生氏郷 その67
『木村吉清父子の援護要請』
秀吉は氏郷に会津転封を命じたとき、葛西・大崎の地に封じた木村吉清父子に向かって
「その方どもは木村を親とも主とも思って仕えよ。木村のもとに時々ご機嫌伺いに参ぜよ。しかし、
俺のもとへは当分まいらんでもよい」
福島城址(現福島県庁)

と言い、氏郷には
「その方は木村父子を子ども弟とも思っていたわりくれるよう。木村は小身者であるゆえ、地侍ども
が侮って一揆などを起こすこともあろうが、その時はその方は木村を先手として、木村父子の勢を引
き連れて切り平げるよう。くれぐれも父子のものを見捨てぬよう」
と、申し渡したと、蒲生氏郷記は伝えます。
氏郷は、この時、秀吉に
「大任を承りましたにつき、武勇すぐれた武士どもを多数召し抱えたく存じます。ついては、これま
で殿下の敵方の者であったり、諸大名の怒りに触れたりして、奉公を構われている者どもを召し使え
ることをお許しいただきとうございます」
と願い出た。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
秀吉は氏郷に会津転封を命じたとき、葛西・大崎の地に封じた木村吉清父子に向かって
「その方どもは木村を親とも主とも思って仕えよ。木村のもとに時々ご機嫌伺いに参ぜよ。しかし、
俺のもとへは当分まいらんでもよい」
福島城址(現福島県庁)

と言い、氏郷には
「その方は木村父子を子ども弟とも思っていたわりくれるよう。木村は小身者であるゆえ、地侍ども
が侮って一揆などを起こすこともあろうが、その時はその方は木村を先手として、木村父子の勢を引
き連れて切り平げるよう。くれぐれも父子のものを見捨てぬよう」
と、申し渡したと、蒲生氏郷記は伝えます。
氏郷は、この時、秀吉に
「大任を承りましたにつき、武勇すぐれた武士どもを多数召し抱えたく存じます。ついては、これま
で殿下の敵方の者であったり、諸大名の怒りに触れたりして、奉公を構われている者どもを召し使え
ることをお許しいただきとうございます」
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