楠木正成 その46
『正成の策』
後醍醐は「大いにおん騒ぎあって」とありますから、恐れて、正成を召して
「急ぎ兵庫へ下り、義貞に力を合わせて合戦すべし」
と仰せ出された。
楠木正成(1294-1336年)

正成は策を献じた。
「尊氏卿全九州の兵を率いて上洛とのことでありますれば、定めて雲霞のごとき大軍でありましょ
う。これに向かって疲れ果てた、しかも寡勢の兵をもってあたりましては、敗戦必定であります。
新田殿を京へ召し還し、君はこの前のように山門へ臨幸遊ばされますよう。かくててまえは河内へ
下り、淀川口を塞ぎましたなら、京は西国よりも東国よりも兵糧が途絶えますれば、敵は疲れ、そ
の勢は日々脱落し、反対に味方は日々馳せ参ずる者多くなりましょう。そこを見すまして新田殿は
比叡山より、手前は河内より攻め上がりましたら、必ず勝利を得るでありましょう。思うに新田殿
もこれほどの御了見はおありでございましょうが、一戦さもせず退ければ人がそしるであろうと、
兵庫で防戦しようと言われるのでありましょう。ともかくも、合戦は勝つことが肝心であります。
よくよくご思慮をめぐらしていただきとうございます」
と進言した。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
後醍醐は「大いにおん騒ぎあって」とありますから、恐れて、正成を召して
「急ぎ兵庫へ下り、義貞に力を合わせて合戦すべし」
と仰せ出された。
楠木正成(1294-1336年)

正成は策を献じた。
「尊氏卿全九州の兵を率いて上洛とのことでありますれば、定めて雲霞のごとき大軍でありましょ
う。これに向かって疲れ果てた、しかも寡勢の兵をもってあたりましては、敗戦必定であります。
新田殿を京へ召し還し、君はこの前のように山門へ臨幸遊ばされますよう。かくててまえは河内へ
下り、淀川口を塞ぎましたなら、京は西国よりも東国よりも兵糧が途絶えますれば、敵は疲れ、そ
の勢は日々脱落し、反対に味方は日々馳せ参ずる者多くなりましょう。そこを見すまして新田殿は
比叡山より、手前は河内より攻め上がりましたら、必ず勝利を得るでありましょう。思うに新田殿
もこれほどの御了見はおありでございましょうが、一戦さもせず退ければ人がそしるであろうと、
兵庫で防戦しようと言われるのでありましょう。ともかくも、合戦は勝つことが肝心であります。
よくよくご思慮をめぐらしていただきとうございます」
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<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
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