楠木正成 その48
『後醍醐朝廷』
宰相清忠の異議は太平記のみにありますが、これは事実だと思います。
前の戦いの勝利も武士らの武略によるものではなく、天皇の御稜威によりものだというところ、後醍醐
をとりまいている公家らの骨髄のからの信念です。
後醍醐天皇(1288-1339年)

彼らはそういう迷妄を信じ切っていたのです。
宰相清忠の言葉も根本の出場所はここにあるのです。
これはまた後醍醐の迷走でもあったのです。
後醍醐朝廷はわざと関白をおかず、一切が後醍醐の独裁で行くことになっていた。
最期の決を下すのは後醍醐であられる筈です。
清忠の意見がそのまま通ったのは、それが後醍醐の意見と一致したからでしょう。
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いつもありがとうございます。
robin6ヵ月です。

<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
宰相清忠の異議は太平記のみにありますが、これは事実だと思います。
前の戦いの勝利も武士らの武略によるものではなく、天皇の御稜威によりものだというところ、後醍醐
をとりまいている公家らの骨髄のからの信念です。
後醍醐天皇(1288-1339年)

彼らはそういう迷妄を信じ切っていたのです。
宰相清忠の言葉も根本の出場所はここにあるのです。
これはまた後醍醐の迷走でもあったのです。
後醍醐朝廷はわざと関白をおかず、一切が後醍醐の独裁で行くことになっていた。
最期の決を下すのは後醍醐であられる筈です。
清忠の意見がそのまま通ったのは、それが後醍醐の意見と一致したからでしょう。
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<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
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