加藤清正 Ⅱ その92
『清正の体格容貌』
三木開城の天正8年に、清正は22歳で、すっかり成人していた訳ですが、どんな体格容貌になって
いたのでしょう。
彼の体格容貌については、若い頃のことは記述したものはありません。
加藤清正公像(本妙寺)

ずっと後年にの江戸時代になってからのことですが、落穂集という書物に出てきます。
それによると、彼は三尺五寸の刀を常ざしの脇差にし、くじら尺四尺二寸に仕立てた着物を着て、裾
が三里(ひざ脇の灸点)の少し下にかかるくらいであったという。
この計算からすると、どうしても六尺五、六寸の身長でなければならない。
かりに肩と胸がうんと厚かったとしても、六尺二、三寸の身長はあったと思われます。
22歳なら、これ位の体格になっていたのでしょう。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
三木開城の天正8年に、清正は22歳で、すっかり成人していた訳ですが、どんな体格容貌になって
いたのでしょう。
彼の体格容貌については、若い頃のことは記述したものはありません。
加藤清正公像(本妙寺)

ずっと後年にの江戸時代になってからのことですが、落穂集という書物に出てきます。
それによると、彼は三尺五寸の刀を常ざしの脇差にし、くじら尺四尺二寸に仕立てた着物を着て、裾
が三里(ひざ脇の灸点)の少し下にかかるくらいであったという。
この計算からすると、どうしても六尺五、六寸の身長でなければならない。
かりに肩と胸がうんと厚かったとしても、六尺二、三寸の身長はあったと思われます。
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<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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