加藤清正 Ⅱ その93
『鳥取城攻略』
三木の開城から4ヵ月、5月には秀吉は山陰方面の因幡に兵を進めます。
因幡は元来、山名氏が守護大名ちして栄えたところですが、この時代、山名氏はもうそれほどの勢
いはなく、その勢力が及ぶところはわずかに石見1郡だけで、他は諸豪族によって占められていた。
山名豊国(1548ー1626年)

そのうえ、その山名氏も他の豪族らも、すべて毛利の旗風になびいて、一国全部が毛利の勢力範囲
になっていたのです。
秀吉は山名豊国が籠る鳥取城から16、7km西方の鹿野城を陥れ、ここに毛利勢がとりこめて人
質としていた豊国の娘を捕らえて、係りの者を定めて丁重に庇護するように命じておいて、鳥取城
に押し寄せた。
鳥取城は東に帝釈摩尼山をひかえ、西に賀露川を帯び、その中間の久松山の尾に築かれた、いたっ
て要害堅固な城であった。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
三木の開城から4ヵ月、5月には秀吉は山陰方面の因幡に兵を進めます。
因幡は元来、山名氏が守護大名ちして栄えたところですが、この時代、山名氏はもうそれほどの勢
いはなく、その勢力が及ぶところはわずかに石見1郡だけで、他は諸豪族によって占められていた。
山名豊国(1548ー1626年)

そのうえ、その山名氏も他の豪族らも、すべて毛利の旗風になびいて、一国全部が毛利の勢力範囲
になっていたのです。
秀吉は山名豊国が籠る鳥取城から16、7km西方の鹿野城を陥れ、ここに毛利勢がとりこめて人
質としていた豊国の娘を捕らえて、係りの者を定めて丁重に庇護するように命じておいて、鳥取城
に押し寄せた。
鳥取城は東に帝釈摩尼山をひかえ、西に賀露川を帯び、その中間の久松山の尾に築かれた、いたっ
て要害堅固な城であった。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
- 関連記事
-
- 加藤清正 Ⅱ その95 (2023/03/28)
- 加藤清正 Ⅱ その94 (2023/03/27)
- 加藤清正 Ⅱ その93 (2023/03/26)
- 加藤清正 Ⅱ その92 (2023/03/25)
- 加藤清正 Ⅱ その91 (2023/03/24)
スポンサーサイト