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加藤清正 Ⅱ その153

『光秀の最後』

長い戦乱時代が続く間に、一般百姓まで殺伐な気性になっていたのです。

百姓らは戦争が行われると、必ず錆槍や、錆刀や、竹槍をかつぎ出して、落武者狩りをしたのです。

明智光秀(1528-1582年)
ak.明智光秀

身分のよい武士を生け捕りにしたり、首を取ったりすれば、褒美が貰える。

そのほか具足をはぎ取ったり、刀や槍を奪ったり、金銀をさらったり、いろいろと徳がある訳だ。

光秀の脇腹を突いたのも、こうした百姓のひとりであった。

光秀は重傷ながらも、声を立てたりすれば、かえって敵に勢いをつけることになるので、咄嗟には

「ウッ」と言ったものの、あとは声をのんでこらえた。

「いかがなされました」

と、従騎がたずねると

「いや、なんでもないぞ」

と、痛みをこらえて、わざと平静な声で言って、そのまま馬を進めた。

2、3町、そのまま進んだが、出血は止まらず、痛みは強く、ついに光秀は気を失って馬上から転落

した。

従者らは驚いて、馬を飛び降り、真っ暗な中で抱き起し、介抱した。

はじめて主人が重傷を負っているのを知って、皆びっくりした。

光秀は気を取り直し

「しょせん、存命はおぼつかなく存ずる。わが首を討ってくれい」

と、言って首を打たせた。

家来らは、その首を薮かげの溝の中に隠して、それぞれ落ち失せた。



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robin 20230526




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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