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加藤清正 Ⅱ その159

『勝家は長浜を所望』

清正は2日かかって姫路に帰り着き、そのまま城に上がった。

秀吉の母もねねも、大喜びで清正を迎えた。

姫路城(姫路城登城記は「こちら」です。
hi.姫路城 20150421 001

清正が秀吉の手紙を差し出すと、2人は読んでくれというので、読んでやった。

清州会議のこと、新しく丹波を得たこと、長浜を柴田の望みで譲ったこと、宝寺に城づくりして当分

は帰れないことなど書いてあった。

清正は詳しく説明を加えた。

「柴田殿はまたどうして、長浜を欲しがりなさったのでしょう」

と、ねねは尋ねた。

長浜は秀吉がはじめて大名になって、貰ったところです。ねねには最もなつかしい記憶の残る土地

であった。

失ったことが残念だったのです。

「柴田は殿様が弔い合戦なされたのが、先ず気に入らないのです。次には清州の評定で、大方が殿

様の申されたことが通って、自分の言い分がほんの少ししか通らなんだが、無念でならないのです。

柴田は第一の老臣であります。常の性質の人間でも、あせらんではおられぬ時であるのに、彼は意

地悪で、嫉妬深い男であるとのこと、このままでは殿さまが天下人になりなさるであろうと、肝を

入れているに相違ないのです。それ故に、近々に殿様と有無の一戦を遂げようと、いつも心に火を

焚いているのです。そうなると、北陸道からこちらへ出て来て、先ず行き当たるのは長浜のお城で

す。ここが殿様のお持城で、小一郎(秀吉の弟・秀長)様なり、誰なり、ひしとこもっていなさる

とあっては、柴田は困ります。それで長浜が欲しいと所望したのです」

と、清正は説明した。



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robin 20230601




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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