加藤清正 Ⅱ その162
『子を待つ母』
清正は本丸に上がる途中、供の下僕をひとり屋敷に走らせたので、母は迎える支度に忙しかった。
召使らに家の内外を清掃させ、自分は清正に食べさせる料理のため立ち働いていた。
加藤清正家紋(桔梗紋)

煮物の具合にたえず注意しながらも、膾(なます)を作るのだが、その間ずっと門の方にも注意を
おこたらず、今帰ってくるかと、胸をさわがしていた。
母お沢は今年54歳になる。
秀吉の庇護を頼むため、虎之介を連れて長浜に行ったのが、天正元年の暮れで、今年が天正10年
だから、丁度9年たつ。
この9年間は、ほとんど毎年戦さだった。戦さがなかった年は1年くらいのものであった。
その戦さに、虎之介は全部出陣した。
そしてさしたる負傷もせず、5百石の知行取りになった。
武士で5百石とれば、騎士(うまのり)とて、一応の身分なのです。
24歳でそうなったのだから、ずいぶん早い精進でであった。
『筑前守様というお人を縁者にもっているおかげだ』
と、大いに秀吉に感謝しながらも
『虎之介がよい子でなければ、いくら筑前守様がご縁者でも、こう行くはずはない』
と思わずにいられない。
『よい子じゃ、よい子じゃ。虎之介はほんによい子じゃ』
と、お題目でも唱えるような調子で心の念じていると、いつしかそれが本当のお題目になって
「南無妙法漣華経、南無妙法漣華経・・・」
と、唱えた。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
清正は本丸に上がる途中、供の下僕をひとり屋敷に走らせたので、母は迎える支度に忙しかった。
召使らに家の内外を清掃させ、自分は清正に食べさせる料理のため立ち働いていた。
加藤清正家紋(桔梗紋)

煮物の具合にたえず注意しながらも、膾(なます)を作るのだが、その間ずっと門の方にも注意を
おこたらず、今帰ってくるかと、胸をさわがしていた。
母お沢は今年54歳になる。
秀吉の庇護を頼むため、虎之介を連れて長浜に行ったのが、天正元年の暮れで、今年が天正10年
だから、丁度9年たつ。
この9年間は、ほとんど毎年戦さだった。戦さがなかった年は1年くらいのものであった。
その戦さに、虎之介は全部出陣した。
そしてさしたる負傷もせず、5百石の知行取りになった。
武士で5百石とれば、騎士(うまのり)とて、一応の身分なのです。
24歳でそうなったのだから、ずいぶん早い精進でであった。
『筑前守様というお人を縁者にもっているおかげだ』
と、大いに秀吉に感謝しながらも
『虎之介がよい子でなければ、いくら筑前守様がご縁者でも、こう行くはずはない』
と思わずにいられない。
『よい子じゃ、よい子じゃ。虎之介はほんによい子じゃ』
と、お題目でも唱えるような調子で心の念じていると、いつしかそれが本当のお題目になって
「南無妙法漣華経、南無妙法漣華経・・・」
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<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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