加藤清正 Ⅱ その264
『秀吉軍の退陣』
家康は撤退しても、城中にはなお相当の武士らが残っている。
剽悍決死の三河武士だ。
長久手古戦場碑

秀吉の撤退を指をくわえて見ているとは考えられない。
必ず後を慕い、少しでも隙があれば襲いかかるに相違ない。城に残っている徳川武士のひとり残ら
ず送り狼とみなければならない。
こんな武士どもに多少なり損害をこうむるようでは、天下人への道をばく進している秀吉の名誉に
関する。
退陣は慎重に行う必要があった。
そこで軍勢を12段に備えて、くり引きに引きとることとし、殿軍を堀尾茂助と清正とに命じた。
殿軍のことを「しんがり」、あるいは「しっぱらい」(後払)といいます。
撤退は夜中から始まったが、大軍がごく注意深く行うこととて、12段目の隊が出発したのは、もう
朝の8時頃であった。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
家康は撤退しても、城中にはなお相当の武士らが残っている。
剽悍決死の三河武士だ。
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秀吉の撤退を指をくわえて見ているとは考えられない。
必ず後を慕い、少しでも隙があれば襲いかかるに相違ない。城に残っている徳川武士のひとり残ら
ず送り狼とみなければならない。
こんな武士どもに多少なり損害をこうむるようでは、天下人への道をばく進している秀吉の名誉に
関する。
退陣は慎重に行う必要があった。
そこで軍勢を12段に備えて、くり引きに引きとることとし、殿軍を堀尾茂助と清正とに命じた。
殿軍のことを「しんがり」、あるいは「しっぱらい」(後払)といいます。
撤退は夜中から始まったが、大軍がごく注意深く行うこととて、12段目の隊が出発したのは、もう
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<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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