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「平氏と源家」と言わないのはなぜ?

「源氏と平家」といっても、“平氏と源家”と言わないのは?

慶応大学の学生は、「早慶戦」のことを「慶早戦」といいます。

そう呼びたくなる気持ちは判りますが、どうにも語呂が悪い。

では、「源平合戦」「源氏と平家」という呼び方も、単なる語呂の問題でしょうか。

「平氏と源家」と呼ばれない確かな根拠が、源氏と平家の関係にはあるのです。

桓武天皇の皇子・葛原(かずらわら)親王の子・高見王の子孫が臣籍に下り、関東に留任して領主と

なったのが、桓武平氏ですが、これは一族の平将門が起こした反乱が鎮圧されることによって急速に

衰えています。

その桓武平氏の傍流であった伊勢平氏の、そのまた傍流が、源平合戦の一方の主役となる平氏です。

このことから判るように、平氏は、桓武・仁明・文徳・光孝とあった平氏の四流に比べれば、ひとつの

家門に過ぎない。この平氏を「平家」と呼んでいます。

源平合戦(1180-1185年)
源平合戦図

一方、源平合戦における源氏は、平忠常の乱を平定して関東に勢力を張った河内源氏が、関東全域と

西に散らばる源家を呼び集めた源家の総体なのです。

つまり、こちらは正しく源氏なのです。

源家の総体としての「源氏」と平氏の一家門としての「平家」とでは、規模も格も違う。「源氏と平家」の

呼び方には、そのような根拠があるのです。

また、河内源氏の祖にあたる清和源氏は、清和天皇の孫・元平親王の子であった源経基(つねもと)に

始まっているため、桓武平氏よりも天皇の血筋が濃い。

そのため、桓武平氏は血筋の上では清和源氏の格下に見られていた。

そのことも、源氏を先にして平家を後にして呼ぶ理由のひとつになっていると思われます。

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 味方
        人は城、人は石垣、人は堀
        情けは味方、あだは敵なり
        信玄の政治のモットーとするこの歌は、後の人の創作だというが、かなり的確に信玄の
        領国統治の心構えを代弁しているといわれます。

≪本日の問題≫


                               <参考文献:戦国武将への大質問(歴史の謎研究編)>
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