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お江 [総集編] その10 「大坂城落城」

『妹たちの願いむなしく淀殿は自害』

淀殿が徳川家の天下を認め、わが子・秀頼が徳川家の臣下として仕えるようにし向けていたのなら、

大坂の陣は勃発しなかったのかも知れない。

だが、淀殿は徳川家の風下に立つことはなく、滅亡の道を選択することとなる。

お江は、姉の淀殿と、婚家である徳川との決裂に心を痛めたものの、2代将軍の妻という立場にある

以上、江戸城から動くことは出来なかった。

その点、夫・高次の死後、出家して常高院と名乗っていたお初は、我が身の危険を顧みず、徳川家と

豊臣家との決裂を防ごうとしている。お初にしてみれば、姉が陥落寸前の大津城へ使者を送ったこと

により、命を救われた恩に報いたかったのでしょう。

だが、結果として彼女の努力は報われなかった。

淀殿・秀頼らの自害の碑
yo.淀殿自害の碑

1614年12月、大坂の陣が膠着事態に陥ると、お初は自ら使者として大坂城へ移り、姉の淀殿に講和を

結ぶように働きかけた。

講和が締結されても、お初は大坂城に止まり、大坂夏の陣に巻き込まれてしまう。

この頃、3姉妹には従兄弟にあたる織田信雄(信長の2男)や、叔父の有楽斎(信長の弟)も大坂城に

いた。

彼らもまた、調停役のような顔をして淀殿に取り入っていたが、その役割は徳川家から送り込まれた

スパイ程度に過ぎない。

そのため、この2人は大坂夏の陣が勃発すると大坂城から退散している。

淀殿は、大坂城陥落の危機が迫ると、姪である千姫を道連れにはせず、徳川家に戻るように命じた。

千姫は、父・秀忠と祖父・家康に対して、淀殿と秀頼の助命を嘆願。

家康は、処置を秀忠に一任したが、秀忠は娘の願いを拒絶。その結果、1615年6月8日、淀殿・秀頼

母子は自害へと追い込まれた。

この千姫をめぐる流れで、淀殿は千姫を道連れにしようとしたと説かれることもあります。

sakura 20111105 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 徳川家康に内通している疑惑を持たれた
        千利休の死罪の原因は、その他にも「天皇陵の石を勝手に持ち出し手水鉢や庭石など
        に使った」、「秀吉が利休の娘を妾にと望んだが、拒否したため秀吉に恨まれた」、
        「交易を独占しようとした秀吉に対し、堺の権益を守ろうとしたために疎まれた」など
        多く言われています。

≪本日の問題≫


                              <参考文献:徳川幕府・創業三代の百年戦争(外川淳著)>
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