お江 [総集編] その12 「お江に関係が深かった人々(1)」
お江 [総集編] その12「お江に関係が深かった人々(1)」
大河ドラマ「お江」も、今日の放映を含めて残り2回になりましたが、当ブログのお江も彼女に関わりの
深かった人々を回顧して、来週の日曜日で完結にしたいと思います。
浅井長政(1545-1573年)
小谷城主の浅井久政の嫡男として生まれる。
観音寺城の六角氏とは近江の覇権を巡って激しい攻防戦を展開。
一旦は、六角氏重臣の平井氏の娘を妻に迎えることにより、服属の意思を明らかにする。だが、一乗谷
城主の朝倉氏との関係を強化することにより、再び六角氏と絶縁し、平井氏の娘を離縁する。
1568年、信長の妹・お市を妻に迎えるが、その4年前には側室との間に長男の万福丸をもうける。
義兄にあたる織田信長に反旗を翻し、その結果、小谷落城ともに覚悟の自害を遂げた。
大蔵卿局(?-1615年)
前歴は不詳。
お市に仕え、長女お茶々の乳母となる。
お茶々が豊臣秀吉の側室となり、淀殿の称されると深い信任を受け、豊臣家有数の実力者となる。加え
て、子の大野治長のまた、豊臣秀頼の側近として権力を握った。
関ヶ原合戦では、対立する東軍に属した京極家の帰順のために力を尽くす。
大坂冬の陣が勃発すると、この治長とともに豊臣家の生き残りのため奔走した。
一旦は和議を締結へと導くが、その願いは叶えられることはなかった。
大坂城が落城の炎に包まれると、淀殿や治長とともに自害することを余儀なくされた。
織田信包(のぶかね)(1543-1614年)
織田信秀の4男として生まれる。
北伊勢を所領とする長野氏の養子に迎えられるが、ほどなく織田の姓に復す。
信長の命に従って各地を転戦。親族衆として伊勢上野城主の座を与えられる。
浅井家滅亡後は、妹・お市と3人の娘たちを保護した。
これは、数多い信長の兄弟のなかでも、信包とお市の母が同じだったことによる処置と思われる。
兄・信長の死後、豊臣秀吉に臣従し、伊勢安濃津城主となるが、小田原合戦で秀吉の不興を買い、一旦は
領地を失った。
その後、御伽衆として秀吉に仕え、丹波柏原の大名に復帰。
関ヶ原合戦の後、豊臣秀頼に仕え、姪の淀殿を支えたが大坂冬の陣勃発直前に病没した。
柴田勝家(1522?-1583年)
出自は不詳。
織田信長の弟・信行に仕えるが、信行が兄・信長に反旗を翻したのち、信長の家臣となる。
主君信長の天下布武のために尽力。
1575年、越前平定後、北ノ庄城の座を与えられる。
知名度の高い武将であるのにもかかわらず、配偶者は不詳であり、2人の姉の子(勝政、勝豊)をそれぞれ
養子に迎えている。
お市を妻に迎えたとき、すでに60歳前後と推定され、お市とは25歳前後の年齢差があった。
お市との婚儀は恋愛感情というより、織田信孝が反秀吉包囲網の結束強化のため、叔母のお市を利用した
という要素が強かった。
賤ヶ岳合戦に敗れたのち、北ノ庄城で自害を遂げた。
高台院(1548-1624年)
杉原定利の娘として生まれ、浅野長勝の養女となる。
足軽時代の豊臣秀吉に嫁ぎ、糟糠(そうこう)の妻として夫の驚異的な出世を支える。
秀吉との間には子どもには恵まれなかったが、正室の座は守り抜く。
側室の淀殿とは、女同士の激しいつばぜり合いを演じたというイメージが強い。だが、高台院は、大津城
攻防戦ではお初の身に危険が迫らないように、淀殿と協力して京極高次を降伏へと導いた。
また、大坂の陣でも大坂方と徳川方が決裂しないように斡旋しており、淀殿との女の戦いは後世のフィク
ションによるところが多いと思われる。
京都の高台院で余生を過ごし、77歳で病没した。
松ボックリが、すっかりお気に入りのさくらです。

ランキングに参加しています

にほんブログ村
いつも応援ありがとうございます。
『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
11月18日の正解: 片倉重長(小十郎)
幸村の次男・大八(真田守信)は、伊達家重臣で後に三女・阿梅の夫となる片倉重長
の元で姉達とともに保護され、後に元服し片倉守信となっています。
以降、公式に残る信繁唯一の家系・仙台真田家として現在も続き、守信の子・辰信の時、
片倉姓から真田姓に復しています。
≪本日の問題≫
<参考文献:徳川幕府・創業三代の百年戦争(外川淳著)>
大河ドラマ「お江」も、今日の放映を含めて残り2回になりましたが、当ブログのお江も彼女に関わりの
深かった人々を回顧して、来週の日曜日で完結にしたいと思います。
浅井長政(1545-1573年)
小谷城主の浅井久政の嫡男として生まれる。
観音寺城の六角氏とは近江の覇権を巡って激しい攻防戦を展開。
一旦は、六角氏重臣の平井氏の娘を妻に迎えることにより、服属の意思を明らかにする。だが、一乗谷
城主の朝倉氏との関係を強化することにより、再び六角氏と絶縁し、平井氏の娘を離縁する。
1568年、信長の妹・お市を妻に迎えるが、その4年前には側室との間に長男の万福丸をもうける。
義兄にあたる織田信長に反旗を翻し、その結果、小谷落城ともに覚悟の自害を遂げた。
大蔵卿局(?-1615年)
前歴は不詳。
お市に仕え、長女お茶々の乳母となる。
お茶々が豊臣秀吉の側室となり、淀殿の称されると深い信任を受け、豊臣家有数の実力者となる。加え
て、子の大野治長のまた、豊臣秀頼の側近として権力を握った。
関ヶ原合戦では、対立する東軍に属した京極家の帰順のために力を尽くす。
大坂冬の陣が勃発すると、この治長とともに豊臣家の生き残りのため奔走した。
一旦は和議を締結へと導くが、その願いは叶えられることはなかった。
大坂城が落城の炎に包まれると、淀殿や治長とともに自害することを余儀なくされた。
織田信包(のぶかね)(1543-1614年)
織田信秀の4男として生まれる。
北伊勢を所領とする長野氏の養子に迎えられるが、ほどなく織田の姓に復す。
信長の命に従って各地を転戦。親族衆として伊勢上野城主の座を与えられる。
浅井家滅亡後は、妹・お市と3人の娘たちを保護した。
これは、数多い信長の兄弟のなかでも、信包とお市の母が同じだったことによる処置と思われる。
兄・信長の死後、豊臣秀吉に臣従し、伊勢安濃津城主となるが、小田原合戦で秀吉の不興を買い、一旦は
領地を失った。
その後、御伽衆として秀吉に仕え、丹波柏原の大名に復帰。
関ヶ原合戦の後、豊臣秀頼に仕え、姪の淀殿を支えたが大坂冬の陣勃発直前に病没した。
柴田勝家(1522?-1583年)
出自は不詳。
織田信長の弟・信行に仕えるが、信行が兄・信長に反旗を翻したのち、信長の家臣となる。
主君信長の天下布武のために尽力。
1575年、越前平定後、北ノ庄城の座を与えられる。
知名度の高い武将であるのにもかかわらず、配偶者は不詳であり、2人の姉の子(勝政、勝豊)をそれぞれ
養子に迎えている。
お市を妻に迎えたとき、すでに60歳前後と推定され、お市とは25歳前後の年齢差があった。
お市との婚儀は恋愛感情というより、織田信孝が反秀吉包囲網の結束強化のため、叔母のお市を利用した
という要素が強かった。
賤ヶ岳合戦に敗れたのち、北ノ庄城で自害を遂げた。
高台院(1548-1624年)
杉原定利の娘として生まれ、浅野長勝の養女となる。
足軽時代の豊臣秀吉に嫁ぎ、糟糠(そうこう)の妻として夫の驚異的な出世を支える。
秀吉との間には子どもには恵まれなかったが、正室の座は守り抜く。
側室の淀殿とは、女同士の激しいつばぜり合いを演じたというイメージが強い。だが、高台院は、大津城
攻防戦ではお初の身に危険が迫らないように、淀殿と協力して京極高次を降伏へと導いた。
また、大坂の陣でも大坂方と徳川方が決裂しないように斡旋しており、淀殿との女の戦いは後世のフィク
ションによるところが多いと思われる。
京都の高台院で余生を過ごし、77歳で病没した。
松ボックリが、すっかりお気に入りのさくらです。

ランキングに参加しています

にほんブログ村
いつも応援ありがとうございます。
『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
11月18日の正解: 片倉重長(小十郎)
幸村の次男・大八(真田守信)は、伊達家重臣で後に三女・阿梅の夫となる片倉重長
の元で姉達とともに保護され、後に元服し片倉守信となっています。
以降、公式に残る信繁唯一の家系・仙台真田家として現在も続き、守信の子・辰信の時、
片倉姓から真田姓に復しています。
≪本日の問題≫
<参考文献:徳川幕府・創業三代の百年戦争(外川淳著)>
- 関連記事
-
- お江 [総集編] その13 「お江に関係が深かった人々(2)」 (2011/11/27)
- お江 [総集編] その12 「お江に関係が深かった人々(1)」 (2011/11/20)
- お江 [総集編] その11 「残された姉妹の最後」 (2011/11/13)
- お江 [総集編] その10 「大坂城落城」 (2011/11/06)
- お江 [総集編] その9 「千姫輿入れ」 (2011/10/30)
スポンサーサイト
コメントの投稿
No title
こんばんは。
大河ドラマ「お江」もいよいよクライマックスですね。
色々「???」な展開もあったりしますが、姫ものはやはり華やかですね。
ドラマの描き方と役者さんによって、歴史上の人物もかなり
湾曲されたイメージがついてしまいがちですが、
実際のところはどうかわかりませんが、大河では京極龍子様が好きでした。
NHKのホームページに「龍子の部屋」もあります。
あまりにも軽い内容ですが、歴史を楽しむためのちょっとした遊び心で。
さくらちゃん、クリスマスには何が欲しいのかなぁ?
大河ドラマ「お江」もいよいよクライマックスですね。
色々「???」な展開もあったりしますが、姫ものはやはり華やかですね。
ドラマの描き方と役者さんによって、歴史上の人物もかなり
湾曲されたイメージがついてしまいがちですが、
実際のところはどうかわかりませんが、大河では京極龍子様が好きでした。
NHKのホームページに「龍子の部屋」もあります。
あまりにも軽い内容ですが、歴史を楽しむためのちょっとした遊び心で。
さくらちゃん、クリスマスには何が欲しいのかなぁ?
エリー♪さま
こんばんは、
本当に姫ものは華やかで、戦国時代を忘れさせてくれますね。^^
京極龍子(松丸殿)を演じられた女優さんも高感が持てましたね。♪
「龍子の部屋」は知りませんでしたので、覗いて見たら面白かった
ですよ。☆
エリーさんが、こんなに大河ドラマが詳しい方だと思っていません
でした。
私より、10倍は詳しいです。(^-^)
> さくらちゃん、クリスマスには何が欲しいのかなぁ?
そうですよね。
そろそろ、プレゼントを考えなくちゃならない時期になりましたね。♪
本当に姫ものは華やかで、戦国時代を忘れさせてくれますね。^^
京極龍子(松丸殿)を演じられた女優さんも高感が持てましたね。♪
「龍子の部屋」は知りませんでしたので、覗いて見たら面白かった
ですよ。☆
エリーさんが、こんなに大河ドラマが詳しい方だと思っていません
でした。
私より、10倍は詳しいです。(^-^)
> さくらちゃん、クリスマスには何が欲しいのかなぁ?
そうですよね。
そろそろ、プレゼントを考えなくちゃならない時期になりましたね。♪