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日本一の兵・真田幸村 『幸村の出撃策は没する』

日本一の兵・真田幸村 『幸村の出撃策は没する』

出丸をこしらえて良いということになったので、幸村は早速、構築にかかります。

場所は、当時の玉造口御門の南、東八町御門の東です。

ここは一段高くなった畑地であったのを、三方に空壕を掘り、柵を一重かけ空濠のなか、壕際に柵を三重

につけ、所どころに矢倉と井桜(せいろう)を上げ、塀の腕木の上には幅7尺の武者走りが付けてあったと

いいます。

出丸が出来上がると、誰言うとなく、これを「真田丸」と呼ぶようになった。

幸村はここに5千の兵をもって籠ったが、のぼり・指物・具足・兜など、上下赤一色であったといいます。

この頃の軍議の席上、幸村は父・昌幸の遺策を提案しています。

「籠城作戦というのは、いずれよりか援軍の到来を期待できる時のみ利がある。今度の合戦は天下を敵

としてことなれば、初めより籠城に出ずるは策を得たものではない。敵に気を奪われ、やがては糧食も尽

き、力も衰えて、ついには落城に至る。出て戦うしかない。出て戦って、時をかせぎ、2、3度勝つうちに必

ず豊臣家恩顧の大名らの間に心を動かして味方する者が出て来るであろう。それには、機先を制するが

第一である。関東、北国の兵がまだ京都に入らぬ先に、秀頼公御出陣あって御旗を天王寺に立て、兵を

山崎に出し、拙者と毛利勝永とを先鋒とし、長蘇我部と後藤に大和路を攻めさせ、伏見城を陥れ、京都を

焼きはらい、宇治、瀬田を固めて、畿内・中国・九州にふれて大名どもを招いたら、必ず味方に馳せ参ずる

者が多いであろう。関東方は長途に疲れている身で、この寒さの河を渡るのだ。意気上がらぬに決まって

いる。味方の利は必定だ。大河をひかえて戦うは大軍を防ぐ常道である。かくして利がなかったら、籠城す

べきで、籠城を急ぐことはない」と主張し、後藤又兵衛もまた出撃策を説いたが、いずれも行われなかった。

「そちらには俺ほどの貫禄がない。同じ策を立てても、人が従わぬであろう」

と昌幸が末期に言って嘆息した通りになったのです。

この際、秀頼でもよければ大野治長でもよい、実力と貫禄を備えていて、良作と見抜いて決断を下せばい

いのだが、秀頼は素質的に優れた人間だったかも知れないが、親の七光りで立てられているだけの人物

であり。大野治長は淀殿の老女・大蔵卿ノ局の子供であるというだけで、豊臣家の家老的地位に上った男

だ。武将としての閲歴もなければ、貫禄もあろう筈がない。

結局は多数決のようになるから、どんな良策もドン栗連に制せられてしまうのである。

さくらも生後4ヶ月を過ぎて、顔・耳の色ずきが良くなりました。
sakura 20111123 001


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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 淀殿の老女・大蔵卿ノ局の子
        大野治長は淀殿の老女・大蔵卿ノ局の子供であるというだけで、豊臣家の家老的地位に
        上った男で、武将としての閲歴もなければ、貫禄もなかったといいます。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:武将列伝江戸編(海音寺潮五郎著)>
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