日本百名城24 「武田氏館」(躑躅ヶ崎館)
『戦国大名の雄 武田氏3代の居館』
【主郭は単郭式の方形館の姿をよく示す】
躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、甲斐源氏の流れを汲む甲斐国守護武田氏の居館で、戦国大名武田
氏の領国経営における中心地でした。現在は跡地には武田神社があり、また、「武田氏館跡」として国の
史跡に指定された中世の城館跡です。
16世紀初頭、有力国人層を制圧して甲斐統一を進めていた信玄の父・信虎は、1519年に盆地中央に近い
相川扇状地への居館構築をはじめ、有力家臣らを府中に住まわせています。
晴信(信玄)時代の武田氏は大きく所領を拡大させ、信濃、駿河、上野、遠江、三河などを勢力下に収めま
すが、本拠地は一貫して要害山城を含む躑躅ヶ崎館であった。
平成23年11月19日、武田氏館に登城しましたので記事にしてみます。
甲府駅南口に鎮座する信玄公(武田氏館とは反対側になります)

「武田神社入口」
立派な石垣がありますが、この入口は神社建設に伴って造られたもので、本来の虎口ではありません。

「正面の水堀」
正面の水堀。幅15mほどで、深さもけっこうありそうです。

「中世式の武士館」
広さは周囲の堀を含めて東西約200m・南北約190m、面積は約4.6万㎡と推定され、外濠、内濠、空濠に
囲まれた三重構造で、中世式の武家館です。

「境内の紅葉」
登城日は、あいにくの雨でしたが境内のモミジが綺麗に紅葉していました。

「内濠と空堀」
西曲輪と主郭部の間の水堀と空堀

武田神社・宝物殿では、「川中島合戦450年 特別展」が開催されていました。

「信玄公生誕の地」
要害山城は躑躅ヶ崎館の詰の城として築かれた山城で、この麓に信玄公生誕の地・積翠寺があり信玄公が
生まれたとき、産湯を使ったとされる井戸が残っています。
躑躅ヶ崎館登城後に行ってみました。

「姫の井戸」
躑躅ヶ崎館の内でも、生活の中心となる場所に有り、一説によると信玄公の息女誕生の折、産湯に使用した
といい「姫の井戸」と名づけられています。

紅葉が満開の武田氏館跡でした。

紅葉がきれいだわ! by sa-ko譲

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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解: 再仕官できない回状
奉公構(ほうこうかまい)は、武士に対する刑の一つで、出奔した家臣又は改易された者
に対し大名が出す回状のことをいう。
これによって他家への再仕官が出来なくなり、その土地から追放される。武士階級におい
て切腹につぐ重刑です。豊臣秀吉によって始められたといいます。
≪本日の問題≫
【主郭は単郭式の方形館の姿をよく示す】
躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、甲斐源氏の流れを汲む甲斐国守護武田氏の居館で、戦国大名武田
氏の領国経営における中心地でした。現在は跡地には武田神社があり、また、「武田氏館跡」として国の
史跡に指定された中世の城館跡です。
16世紀初頭、有力国人層を制圧して甲斐統一を進めていた信玄の父・信虎は、1519年に盆地中央に近い
相川扇状地への居館構築をはじめ、有力家臣らを府中に住まわせています。
晴信(信玄)時代の武田氏は大きく所領を拡大させ、信濃、駿河、上野、遠江、三河などを勢力下に収めま
すが、本拠地は一貫して要害山城を含む躑躅ヶ崎館であった。
平成23年11月19日、武田氏館に登城しましたので記事にしてみます。
甲府駅南口に鎮座する信玄公(武田氏館とは反対側になります)

「武田神社入口」
立派な石垣がありますが、この入口は神社建設に伴って造られたもので、本来の虎口ではありません。


「正面の水堀」
正面の水堀。幅15mほどで、深さもけっこうありそうです。

「中世式の武士館」
広さは周囲の堀を含めて東西約200m・南北約190m、面積は約4.6万㎡と推定され、外濠、内濠、空濠に
囲まれた三重構造で、中世式の武家館です。

「境内の紅葉」
登城日は、あいにくの雨でしたが境内のモミジが綺麗に紅葉していました。


「内濠と空堀」
西曲輪と主郭部の間の水堀と空堀


武田神社・宝物殿では、「川中島合戦450年 特別展」が開催されていました。


「信玄公生誕の地」
要害山城は躑躅ヶ崎館の詰の城として築かれた山城で、この麓に信玄公生誕の地・積翠寺があり信玄公が
生まれたとき、産湯を使ったとされる井戸が残っています。
躑躅ヶ崎館登城後に行ってみました。


「姫の井戸」
躑躅ヶ崎館の内でも、生活の中心となる場所に有り、一説によると信玄公の息女誕生の折、産湯に使用した
といい「姫の井戸」と名づけられています。

紅葉が満開の武田氏館跡でした。


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≪昨日の解答≫
昨日の正解: 再仕官できない回状
奉公構(ほうこうかまい)は、武士に対する刑の一つで、出奔した家臣又は改易された者
に対し大名が出す回状のことをいう。
これによって他家への再仕官が出来なくなり、その土地から追放される。武士階級におい
て切腹につぐ重刑です。豊臣秀吉によって始められたといいます。
≪本日の問題≫
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