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日本一の兵・真田幸村 『大阪冬の陣のはじまり』

日本一の兵・真田幸村 『大阪冬の陣のはじまり』

家康は10月23日に京都に到着し二条城に入った。

秀忠は11月10日伏見に到着し、翌日二条城で家康に会った。この間にも諸大名の兵は集まり、大坂に

向って進撃した。

11月15日、家康は京都を出発し奈良街道をとって、5時頃に奈良奉行の中坊秀政の屋敷に入り、ここに

泊まった。

秀忠も15日に伏見を出発、淀川の東岸に沿った大坂街道をとって枚方に入り、その夜はそこに泊まった。

家康・秀忠ともに大坂に着き、いよいよ戦闘が始まった。

本格的な戦いは26日の鴫野・今福の合戦であった。初陣の木村重成が佐竹・上杉両家の勢と戦って見

事な働きぶりを見せ、秀頼の命によって助勢に駆けつけた老巧・後藤又兵衛を感嘆させたという。

次は12月1日の真田丸の合戦です。

大坂冬の陣布陣図
大坂冬の陣布陣図
<クリックで拡大します>

ここを攻め口として受取ったのは、加賀の前田家であった。

前田家と真田丸との間に小さい笹山があって、いつもここに真田丸の兵が出入して鉄砲を撃ちかけるので、

この日、前田家の重臣・奥村摂津は

「あの山がじゃまだわ、あれにいる敵を追い払わないとどうにもならぬ」

と言って、手勢を率いて用心しながら駆り立ててみると、一兵もいない。勢い込んで出たこととて、体裁悪

く引き取りにかかると、真田丸の塀の上に突き立って呼ばわる者がいた。

「もうし、もうし、加賀の衆。笹山を駆り立て召されたは、ご退屈しのぎの追鳥狩のためでござるかや。

それほどご退屈ならば、一番この出丸を攻めてご覧あれ。われらが所在の上田鍛冶の打ったる矢の根にて、

ご重代の鎧の札を試してみるのも御一興でござるや」

ふざけ切ったこの嘲弄に加賀勢はかっと激昂し、

「生意気な!踏み潰せ」

とばかりに、まっしぐらに押し寄せて来た。

塀を引き崩せと濠に飛び込み、塁をよじ登ろうとしたが、真田方では全てがこうなるようにと計画していた

ことだったので、雨のように鉄砲と弓を射かけた。

竹束も盾も用意していなかった奥村勢は散々に打ちなされ、多数の死傷者を残して退却した。

前田利常は、

「軍令を破って勝手な戦さし、加賀の恥をさらした」

と怒って、奥村を勘当したという。

さくらも上手に足回りが出来るようになりました。
sakura 20111127 001 sakura 20111127 002

昨日、明治大学の泉キャンパスに行きましたが、秋が進んでいました。
キャンパスの秋風景もいいですね。
me.明治大学泉キャンパス

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 崇源院
        お江の墓碑は、京都市・金戒光明寺の宝篋印塔碑銘には「崇源院殿一品大夫人昌譽仁」
        とあり、高野山金剛峰寺の五輪塔碑銘には「崇源院殿一品大夫人昌譽大禪定尼」、また、
        同寺院には、六角宝塔内卵塔碑銘には「崇源院殿源夫人昌譽大姉」とあります。

≪本日の問題≫


                                <参考文献:武将列伝江戸編(海音寺潮五郎著)>
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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前田家

こんにちは。

真田丸攻防にまつわる前田家の話は、中村彰彦著「われに千里の思いあり」に載っていました。

どちら側に立って語るかで、それを読む側の印象が変わりますね。

よんちゃん さま

こんにちは、
お久しぶりです。^^

時の流れに臨機応変に立ち振る舞い、百万石を守り続けた
前田家に興味があります。
そうですよね。
立場が変わると記述が違ってきますよね。
特に、小説であればなおさらのこと。ですね。^^
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