戦国大名と対決した信徒衆 「一向一揆」 その6

『一揆の分裂』

蓮如のたびたびの制止にも関わらず、一向一揆は北陸一帯に広がり、ついに1488年、守護の富樫政規を

高尾の城に囲んで倒し、加賀に本願寺の門徒領国を出現させた。

一方、本願寺は大阪の石山御坊に本拠地を移し、近畿・東海・北陸・中国の各地へ、教線を拡大していった。

後の大坂城の地が、この石山御坊の跡です。

戦国時代に覇を唱えた名だたる武将のほとんどが、一向一揆の洗礼を受けています。

徳川家康もその一人です。

1563年、まだ松平氏を名乗っていた22歳の家康に対して三河の門徒が蜂起し、一揆勢に多数の松平氏

の家臣が参加したことで、家康は苦境に落ちています。

一時は居城・岡崎城も危うかった程だったといいます。

しかし、この時期になると、一揆側にも足並みの乱れが目立ち、それを巧みに突いた家康方が勝利を収め

ます。

加賀の一向一揆より既に80年、一揆の勢力の内部にも分裂が起こっていた。

岡崎城
登城記は、「こちら」「こちら」です。
ok.岡崎城 20100508 001

三河の門徒勢力には、どちらつかずのヌエが混じっていたという。

それは松平家の武士たちです。

一揆と松平勢との戦争が始まると、彼らは動揺したといいます。

そして家康が自ら槍を取って攻めとくると、逃げ出したという。でも逃げながら振り返って「おれは松平勢

が怖くて逃げるのじゃないぞ。御主君が先頭に立って来るから、やむを得ず逃げるのだぞ」と叫んだとい

います。

しかも、いよいよ激戦になって、家康が一揆勢のために窮地に陥ってしまうと、矛(ほこ)を転じて松平側

に寝返り、家康のために戦って一揆勢を急に槍で突いたりする武士もいたという。

こういうどちらつかずの集団を抱え込んでしまったところに、三河一向一揆の特色と弱体化の原因がある

という。


本ブログは宗教の記事ではなく、戦国武将と対決した一向一揆について記したものです。
従いまして、宗教等についてのコメントなどの対応はできませんので、あらかじめご了承願います。

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
一昨日の正解: 柴田勝家
          信長は越前8郡75万石を柴田勝家に与え北ノ庄城主に命じています。
          越前府中10万石は前田利家・佐々成政・不破光治に均等に与えられ、府中三人衆として
          勝家の補佐・監視役を担わせています。
          また、大野3万石は金森長近に、2万石は原長頼に与え、柴田勝家を総司令官とする織田家
          の北陸軍団を誕生させています。

≪本日の問題≫


                                   <参考文献:日本史探訪(角川書店編)>
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