立花一族 その9 「立花道雪、陣中で没する」

『立花道雪、陣中で没する』

島津は日向南部を確保すると、この方面で鉾を収めて、肥後方面に向かって諸豪を下し、肥前島原で龍造

寺隆信と決戦して隆信を殺し、ますます北進の勢いを見せる。

耳川合戦があったのは1578年11月であったが、1584には、もう薩摩・大隈・肥後・日向を確保して、肥前・

筑後・筑前の諸豪らを味方に引き入れた。

龍造寺も怨みを忘れて島津の味方になった。秋月・高橋宗専などの諸氏に至ってはいうまでもない。

立花道雪(1513-1585年)
ta.立花道雪 001

宗麟はこの形勢に心穏やかでない。筑後を切取ろうして軍勢を繰り出し、高良山に陣をすえさせた。その始

めにおいては、立花道雪と高橋紹運の働きによって勢い大いにふるい、筑後は風靡したが、宗麟の老臣・

田原親家は両人を嫉妬し、

「たとえこの先、大友家が大いに勝っても、それはすべて道雪と紹運の手柄になってしまう。他の者はいく

ら働いても、両人の手柄の飾りになるまでのことよ」

思案して諸勢を率いて引き取ってしまった。

道雪と紹運は屈せず、高良山に滞陣を続け、襲いかかってくるアンチ大友の諸氏を撃ち退けつつ年を越し、

翌年の1585年5月に、道雪は病気になり一時は持ち返したが9月になると、また重くなり、ついに陣中で

没した。73歳であった。

末期に、道雪は

「おれの死骸には甲冑を着せ、この山の好見岳に柳川の方を向けて埋葬せよ。決してこの遺言にそむく

ことはならぬ。そむかば悪霊となって家老共の子々孫々に至るまでとり殺すぞ」

と遺言した。

死んだ後まで、一歩も敵を寄せ付けじとの烈しい覚悟だったのです。

sakura 20120216 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 五大老
         豊臣秀吉は己の死後、その息子・豊臣秀頼を五大老が補佐し、合議制をとることにより
         徳川家康の台頭を防ごうと考えていた。
         五大老には、徳川川家康・前田利家(利長)・毛利輝元・小早川隆景〈上杉景勝〉・宇喜多
         秀家が指名されていました。

≪本日の問題≫


                                   <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎暑)>
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