日本百名城69 鬼ノ城
角桜や門などが再建され、幻の城が姿を現しつつある
『古代吉備の要衝を占めた天険の山城』
鬼ノ城は、総社平野を見下ろす標高約400mの鬼城山に築かれた古代山城です。
「日本書記」などに記載がない謎の城ですが、長年の発掘調査の成果や他の山城との比較などから
7世紀の築城との見方が強まっています。
城外は南と東は断崖絶壁で、山の8~9合目を城壁が取り囲み、長さ2.8Kmに及んでいます。
城壁は基本的に版築土塁ですが、6ヵ所に水門や目立つ部分には高石垣が築かれている。
水門の他に東西南北4ヵ所の城門が確認され、西門周辺では、版築土塁、高石垣、角桜などが復元され
ています。
日本百名城69 鬼ノ城(岡山県総社市)

桃太郎説話や「温羅(うら)伝説」の舞台として、古くから親しまれてきた鬼ノ城(きのじょう)。
その築城の目的については、663年の「白村江の戦い」における敗北から、唐・新羅の連合軍が本土に
侵攻するのではないかと危機感を抱いた当時の政権が、西日本各地に築かせた古代山城の一つである
という説がよく知られています。
しかし鬼ノ城は、『日本書紀』などには一切登場せず、築かれた時期についても様々な説があり、未だ多
くの謎に包まれた遺跡です。

標高400mにある山城ですが、百名城スタンプが置いてある「鬼城山ビジターセンター」まで、車で
快適に上がることができます。
このセンターには清涼飲料水の販売機は設置されていませんので、持参が必要です。

ビジターセンターから登り始めると、直ぐ分岐があります。
右が西門が展望できる学習展望デッキが設置されたコースで、左が車でも上がれる平坦なコースです。

学習展望デッキから望む西門

西門付近の版築土塁

城外から見る西門
3間×2間で構成される木造3階建ての大規模な城門が復元されています。

角桜上から見る西門

車道ルートから見る西門
鬼ノ城は城壁の約2.8Kmに遊歩道が整備されていますが、今回は西門付近のみの登城でしたので、
次回は、全コースを歩いて見たいと思います。

日本百名城スタンプ


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いつも応援ありがとうございます。
『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解: 臼杵城
島津義久は大友領へ侵攻し、1586年12月には島津家久軍が戸次川の戦いで、大友氏救援
に赴いた豊臣軍先発隊を壊滅させ、さらに大友氏の本拠地である豊後府内を攻略しています。
この時、臼杵城に籠城していた宗麟は大砲「国崩し」を使って臼杵城を死守し戦国大名と
しての意地を見せています。
≪本日の問題≫
『古代吉備の要衝を占めた天険の山城』
鬼ノ城は、総社平野を見下ろす標高約400mの鬼城山に築かれた古代山城です。
「日本書記」などに記載がない謎の城ですが、長年の発掘調査の成果や他の山城との比較などから
7世紀の築城との見方が強まっています。
城外は南と東は断崖絶壁で、山の8~9合目を城壁が取り囲み、長さ2.8Kmに及んでいます。
城壁は基本的に版築土塁ですが、6ヵ所に水門や目立つ部分には高石垣が築かれている。
水門の他に東西南北4ヵ所の城門が確認され、西門周辺では、版築土塁、高石垣、角桜などが復元され
ています。
日本百名城69 鬼ノ城(岡山県総社市)

桃太郎説話や「温羅(うら)伝説」の舞台として、古くから親しまれてきた鬼ノ城(きのじょう)。
その築城の目的については、663年の「白村江の戦い」における敗北から、唐・新羅の連合軍が本土に
侵攻するのではないかと危機感を抱いた当時の政権が、西日本各地に築かせた古代山城の一つである
という説がよく知られています。
しかし鬼ノ城は、『日本書紀』などには一切登場せず、築かれた時期についても様々な説があり、未だ多
くの謎に包まれた遺跡です。

標高400mにある山城ですが、百名城スタンプが置いてある「鬼城山ビジターセンター」まで、車で
快適に上がることができます。
このセンターには清涼飲料水の販売機は設置されていませんので、持参が必要です。


ビジターセンターから登り始めると、直ぐ分岐があります。
右が西門が展望できる学習展望デッキが設置されたコースで、左が車でも上がれる平坦なコースです。

学習展望デッキから望む西門

西門付近の版築土塁

城外から見る西門
3間×2間で構成される木造3階建ての大規模な城門が復元されています。

角桜上から見る西門

車道ルートから見る西門
鬼ノ城は城壁の約2.8Kmに遊歩道が整備されていますが、今回は西門付近のみの登城でしたので、
次回は、全コースを歩いて見たいと思います。

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≪昨日の解答≫
昨日の正解: 臼杵城
島津義久は大友領へ侵攻し、1586年12月には島津家久軍が戸次川の戦いで、大友氏救援
に赴いた豊臣軍先発隊を壊滅させ、さらに大友氏の本拠地である豊後府内を攻略しています。
この時、臼杵城に籠城していた宗麟は大砲「国崩し」を使って臼杵城を死守し戦国大名と
しての意地を見せています。
≪本日の問題≫
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