立花一族 その15 「秀吉の始動と島津勢の撤退」

『秀吉の始動と島津勢の撤退』

この頃、秀吉と家康との間は大いに好転していた。

家康が秀吉の妹の朝日姫を妻として5月14日に迎えたのです。

随分と無理な結婚です。

朝日は人の妻となっていたのだし、年も44歳になっていたのを、秀吉は離婚させ、しわ面に紅おしろいを

つけさして、家康の後妻にやったのです。

ひどい話ではありますが、ここまで漕ぎつければ家康を籠絡して牙を出させない自身が秀吉にはあった。

これにより、秀吉は九州征伐をぼつぼつ実行に移し始めたのです。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉 小

秋山種実がこう切り出した。

「長々の戦で、皆様お疲れであろう。ご休息のため一応帰国されて如何でござる。立花城のことは、お味

方になっている当地のわれらだけで談合して、必ず攻め落とすことにします。お心おきなくご退陣あられる

がよろしいと存ずる」

いい口実さえあれば、退却したいと思っていたところだ。

「よかろう。後は任せる。必ず攻落しなされよ」

秋月はじめ与党の豪族に言って、島津勢は陣所を引き払って帰国の途についた。8月24日であったという。

立花宗茂は天才的な戦争名人であったという。

薩摩勢が退却にかかったと見ると、すぐ足軽を出して追撃し多数の敵を討取り、翌日は薩摩方の居城・高

島城を攻めて城中の兵数百を一人残らず討取った。

これは直ぐに大坂に注進されたので、秀吉は感状を送りつけて激賞したうえ、

「以後はめったな冒険をするな。追々助勢の人数を送る。毛利三家も間もなく行くであろう。それに続いて

わしも出馬し、九州の逆徒らは残らず首をはねるであろう」

と言い添えたという。

sakura 20120224 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 立花城
         福岡城の石垣は主に立花山城から石垣を移築して作られています。
         現在の立花城址は山頂の本丸跡にわずかに石垣跡、そして古井戸跡が残るのみになって
         います。

≪本日の問題≫


                                    <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎暑)>
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