立花一族 その16 「秀吉の九州征伐」

『秀吉の九州征伐』

九州においては、大友氏はまだ島津に降伏はしていなかったが、気力は全くなく、立花宗茂だけが怒涛

のような気力を見せていた。

毛利三家の兵は、その先鋒隊が8月26日に門司に上陸し、10月初めに三家の本隊が九州に上陸した。

黒田孝高(如水)が軍監となっていた。

黒田孝高(官兵衛・如水)(1546-1604年)
ku.黒田官兵衛

小倉をぬいたのを手はじめに、豊前と筑前の大部分にわたる島津方与力の諸城は征伐軍のものになって

いった。

戦って抜かれたものもあったが、大部分は降伏している。

これは九州の表玄関口における秀吉軍の働きでしたが、秀吉は裏口の豊後方面にも先鋒隊を向けてい

ます。

この豊後方面隊は四国大名が受け、土佐の長曾我部元親父子、讃岐の十河存保を主力とし、淡路の仙

石秀久が軍監であった。

ところが、この四国勢は、戸次川で島津軍と戦って散々に撃破され、長曾我部元親の嫡子・信親と十河

存保とが戦死し、元親は伊予の日振島に逃れ、仙石秀久に至っては淡路まで逃げ帰っています。

この合戦は、長曾我部も十河も戦うべきでないと言ったのに、強がりの仙石さんが無理やり始めたので、

最後には醜態まで演じたという。

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 義久
         島津義久は優秀な3人の弟(島津義弘・歳久・家久)と共に、精強な家臣団を率いて
         九州統一を目指し躍進し、一時は筑前・豊後の一部を除く九州全てを手中に収める
         など、島津氏の最大版図を築きます。
         しかし、豊臣秀吉の九州征伐を受け降伏し、本領である薩摩・大隅2ヶ国と日向諸県郡
         を安堵されています。

≪本日の問題≫


<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎暑)>
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こんにちは!

黒田さんといえば、ドン・シメオンさんですね。
洗礼名の響きがかっこよくて、好きになった人物です。
優秀な軍師という所にも惹かれます。
また、次の更新も楽しみにしていますね!

ほっぺぷにゅ さま

こんにちは、

黒田さんは有名で、かつ、ファンも多いですよね。☆

関ヶ原の合戦の後、「家康は『我が徳川家の子孫の末まで黒田家に対して疎略あるまじ』
と3度手を取り感謝した」という嫡男・長政の報告に対し、「何故空いた手で刺さなかった」
と叱責した。

と伝わりますが、このあたりも戦国武将としての度量でしょうね。
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