立花一族 その18 「東国・西国の無双」
『東国・西国の無双』
秀吉は薩摩の川内まで入り、ここで島津氏の降伏を受け入れた。
薩摩からの帰りに、秀吉は博多で九州大名らの領地割をしたが、この時、立花宗茂は筑後国で三池・山門
両郡の全部、下妻・三須間両郡の一部の12万石を与えられ、柳川に居城することになった。
1590年2月1日、小田原征伐のために秀吉が諸大名を京に集めた時、秀吉は家康に問うた。
本多忠勝(1548-1610年)
「今度の上京に、本多忠勝を召連れたか」
「召連れました。今日も連れて参ってます。」
「呼出しなされ」
と、秀吉は呼出させておいて、宗茂を呼び出し2人に向かって
「こちらは東国にかくれなき本多中書じゃ。また、こちらは西国無双の誉れある立花左近将監じゃ。両人
互いに懇親を結び、左近将監は西国を守護していよいよ忠をつくし、中書は江戸内府を助けて東国を守護
せよ。両人東西において無双の者である故、おれが前で対面を許すぞ」
といって交わりを結ばせたので、諸大名みな、あっぱれ面目かなと嘆称したという。
秀吉はほめ上手で、彼に褒められた人物は実に多いが、これほどの褒められ方をしたのは、この2人でだけ
だった。
昨日から広島に来ています。
平清盛が社殿を造営した厳島神社に行ってきました。
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<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎暑)>
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「呼出しなされ」
と、秀吉は呼出させておいて、宗茂を呼び出し2人に向かって
「こちらは東国にかくれなき本多中書じゃ。また、こちらは西国無双の誉れある立花左近将監じゃ。両人
互いに懇親を結び、左近将監は西国を守護していよいよ忠をつくし、中書は江戸内府を助けて東国を守護
せよ。両人東西において無双の者である故、おれが前で対面を許すぞ」
といって交わりを結ばせたので、諸大名みな、あっぱれ面目かなと嘆称したという。
秀吉はほめ上手で、彼に褒められた人物は実に多いが、これほどの褒められ方をしたのは、この2人でだけ
だった。
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