立花一族 その23 「関が原の戦い敗戦」

『関が原の戦い敗戦』

宗茂は関が原における戦いに参加していない。

その以前に行われた大津城の攻撃に参加し、大津城が開城した後、そこを守備する役であった。

この大津城の攻撃は、大坂7手組みの諸将、九州の諸将など1万5千で行われたが、立花家の銃撃の猛

烈さに、城方も応戦に苦しんで立花家の攻め口に向かった壁面の矢狭間を閉め切ったという。

大津城(CG画像)
大津城籠城戦 小

関が原の戦いが西軍の完敗に終わったので、宗茂は大津を撤退にかかったが、瀬田の唐橋を大坂から使

わされた一隊の軍兵が焼き落とそうとしていると聞き、馬を走らせて行って見ると、橋上に山のような薪を積

み上げ、今や火を放たんとしている。

宗茂は隊長を呼び

「似てのほかのことをする。源平の昔から東国勢の京へ攻め上って来ることを防ぐため、京方では定まって

この橋を落としたものだが、それによって利を得たためしは一度もない。諸人のなやみ、国の費えとなるだけ

のこと。わしがこれから伏見にいるかぎり、必ずしかと防戦する。橋のあるなしにかかわらぬ。焼くことかたく

無用にせい」

と厳しく戒めて薪を取り捨てさせた。

宗茂は源平の昔といっていますが、瀬田の橋を焼いて防戦しようとしたのは、遠く天武天皇の時の壬申の

乱にさかのぼることができます。

その後、源平時代の治承・元暦、鎌倉時代の承久の乱、南北朝時代の元弘、室町時代の応仁の乱、いず

れも京にこもる側はこの橋を落として戦っているが、勝利を得たことは一例もないのです。

家康はあとで、宗茂がこの橋を焼かせなかったことを聞き

「立花は聞きしよりもはるかにやさしき心がけの者である」

と褒めたという。

pig 20120306 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 小西行長
         武断派の加藤清正・福島正則・黒田長政・池田輝政・細川忠興・加藤嘉明・浅野幸長
         の七将たちは、文治派の筆頭である石田三成への確執などから東軍に属しています。

≪本日の問題≫


                                   <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎暑)>
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