立花一族 その28 「立花宗茂は、いつまでも殿様」

『宗茂は、いつまでも殿様』

1602年の春、宗茂は肥後を去って京に出た。

自分派と千代派に分かれている家来どもの空気が鬱陶しかったのと、世がどう変わりつつあるかを見極

めかったのでしょう。

由布雪下、十時摂津など19人が従った。

一の家老の小野和泉以下が、千代守護のため肥後に留まった。加藤清正は和泉に4千石、以下の者も

それぞれに給与額を決めて召抱えたという。

前田利家(1537-1599年)
ma.前田利家 001

宗茂は京都では禅寺に止宿します。その間のこととして色々なエピソードが伝わります。


<その1>

宗茂は肥後を出るとき、清正からかなりの餞別を貰ったであろうが、なにせ大人数です。やがて底をつい

たので、家来らは宗茂には知らせず、乞食したり、人夫働きしたりして生活費を稼いだ。十時摂津は尺八

が旨かったので虚無僧になって稼いだが、これが一番収入があったという。


<その2>

普通の飯に炊くほどの米がなかったので、雑炊にして宗茂に供すると、宗茂は膳の上をながめ、不機嫌に

言った。

「いらざることをいたす。飯のままに出せばいいのに、汁かけ飯などにして出す。汁をかけたけたるが欲し

くば、おれが自分でかけるわ」

こうなっても、なお失せない大名気質の大様さで何も知らないのです。家来らは覚えず胸がせまり、涙をこ

ぼしたという。


<その3>

柳川に伝承される話だそうです。

家臣らが残飯を干飯にしようと、広げて外に干したまま外出し、宗茂だけが残っていた。

にわか雨が降ってきた。家臣らは出先で

「殿様が気がつかれて、あの干飯を取入れて下さるじゃろうか」

とう話がで

「もし、左様な些事に気がつかれるようでは、殿様の運命も開けようがない。どうかお気がつかれぬよう

に」

と語り合って帰ってみると、宗茂はのんびりと書見しており、干飯はビショビショに雨にたたかれていたの

で、人々は殿様のご運命未だ尽きずと、涙を流して喜んだという。


<その4>

加賀の前田利家の使者が来て、10万石で召抱えたいと言ったところ、宗茂は返事せず、独り言のように

「憎いやつめが、腰抜けのぶんざいして、色々のことを申す」

と言ったので、家臣どもは座をとりつくろいようがなく困ったという。


長くお付き合い戴きました「立花一族」も、明日が最終回になります。

いつも遊びに来て戴き、ありがとうございました。

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 長烏帽子兜
         清正は長身でしたが、長大な烏帽子形の変わり兜(長烏帽子兜)を被ることでさらに
         背が高く見えたという。(一説には、小背のため目立つよう長い兜を使ったともいわ
         れます)
         浮世絵の武者絵では、この兜と蛇の目紋は清正を表すシンボルになっています。

≪本日の問題≫


                                   <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎暑)>
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