前田利家 その6 「利家、牢人に」

『前田利家、牢人に』

処罰は覚悟のうえであったが、武士として禄を離れることは、まさに悲運であった。

その浪々中の感慨について、後年、利家は次のように述べています。

金沢城
ka.20100404 金沢城 001

「人は悲運に沈んでみなければ、友の善悪もわからねば、自分の心も知れぬものである。おれは若いとき、

十阿弥を斬って牢人していたとき、かねて兄弟ほど仲良くしていた朋輩でも、殆ど全部見舞いにも来てくれ

なかった。

森可成・柴田勝家の2人の他は、2・3のお小姓がいろいろと心を運んでくれるだけであった。

また、ずっと後年、小田原の陣でおれが太閤様のご機嫌を損じた時、日頃おれがところに出入して、おれ

も目をかけてくれていた者どもが、多くはご前でおれが悪口ばかり言うげな。

木村常陸介などは兄弟のように懇意にしていたのに、やはりかれこれ讒言(ざんげん)したそうな。蒲生飛

騨・浅野弾正の2人は、色々とご前でとりなしてくれたそうな。

悲運に沈んでみないと人の心はわからぬ。

そういう時、色々と世話をやいてくれる者は誠に少ないが、そんな人間でなければ頼りにならんぞよ。また、

人間悲運の時には心がひがむものでのう。情けないものよ」

述懐にある蒲生飛騨は蒲生氏郷、浅野弾正は浅野長政のことです。

このような戦国牢人が主家に復帰して再び禄を得るためには、密かに合戦に参陣して懸命の働きにより、

めざましい武勲を挙げることしかない。

前田利家は槍を撫でながら、ひたすらその機会を覗うことになります。

pig 20120325 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 森部合戦
         前田利家が正式に信長から勘気を赦免されたのは、1561年5月、美濃の斎藤竜興の臣家
         と信長が戦った「森部合戦」における武功によるものでした。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:前田利家(井口朝生暑>
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No title

歴史は人が創っているとまさに思う逸話ですねぇ。
現代も変わらずに親友を得るのは難しい。
まして助けてくれるような友なんて皆無ですよ。
戦国時代も同じように悩み、苦しみがあったと
何か近しく感じました。

ぴゆう さま

コメントありがとうございます。

う~ん。
人は流れて行くものでしょうが、相手を愛していると
語らずしも、通じているものが結構あったりしませんか。

大事にしている友は、また大事にしてくれていますよ。
きっと☆
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