前田利家 その9 「利家、尾張荒子城主に」

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

「利家、尾張荒子城主に」

信長のもとに帰参してからの前田利家の働きぶりは、めざましいものがあった。

各地に転戦する信長軍には必ず従軍し、従軍すれば必ずなにがしかの武功をあげています。

利家は前田家の4男であったから自立しなければならず、そのため武勇ひと筋にひた走り、赤母衣武者の

身分にまでなったのであるが、人間の情実も機能として評価する信長が、このように役に立つ実力者を顧

みない筈がない、いつかは身の立つようにしてやりたいと思っていたことでしょう。

尾張荒子城址(利家誕生の地)
ar.荒子城址

利家の長兄で尾張荒子城主2千貫の身代を領する前田利久の後妻は、かつて織田の家中・滝川益重の

妻であったが、益重の妊娠した身で利久に嫁いで来たのです。

利久は美貌の若い後妻を溺愛するあまり、滝川益重の子であることを承知しながら、生まれた子を跡継ぎ

にして、自分は隠居の身になろうとした。

その子供がやがて前田慶次と名乗る一代の拗ね者になった経緯は別途、記事にします。

この家督相続を知った信長は、前田利久に

「家督を利家に譲るように」

と申し入れた。

前田宗家は今でこそ信長に服従しているものの、元来は織田家と同格の小豪族である。

荒子城2千貫文の身代は織田家から貰ったものではないのだから、その家督相続に関しては、信長から

干渉を受ける筋合いはないが、今や上京して天子に謁見し、美濃岐阜城に風雲の旗色を鮮明にひるがえ

す信長の申し入れであれば、命令も同然で拒むことは不可能であった。

利久は不承不承、信長の申し入れに従った。

この時の情況が伝わります。

利久の若い後妻は立腹して、城を明け渡して立ち退く際、様々に呪いの言葉を吐き、

「この城に住む者にわざわいあれ、この衝立を使う者は足なえよ、この屏風を立て巡らす者はかったいに

なれよ」

などと、城は勿論、道具・調度の類までに呪詛を並び立てたという。

すさまじい怨念です。

そして若い後妻の怨念は、前田利久の本心であったのでしょう。

pig 20120329 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 前田慶次郎
         前田利久の後妻は、かつて織田の家中・滝川益重の妻であったが、益重の妊娠した身で
         利久に嫁いで来ています。
         その子供がやがて前田慶次郎と名乗る一代の拗ね者で有名です。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:前田利家(井口朝生暑>
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No title

おお怖。
だけど信長様の言う通りにして前田家は万々歳ではないの。
馬鹿な親。
浅井家の爺様みたい。
時局が見えない、人が見えない。

しかし呪うとは有り得ない。
それだけで私利私欲の人物だとわかるよね。
情けないのぉ

ぴゆう さま

この時代、親、兄弟を相手に戦っていた時代ですから、
信長様が偉大でなければ言うことは訊かなかったでしょうね。

この子供の風来坊さがいいですよね。☆
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