前田利家 その17 『越中は戦いの場』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

「越中は戦いの場」

畿内訪問の記事が続いていましたので、利家くんが久しぶりになってしまいました。
お付き合いください。

1581年春、信長は京都で大馬揃えを催します。

馬揃えは、軍馬を集めてその優劣を検分し、その調練と演習を検閲して士気を鼓舞いする、観兵のような

ものです。

この大馬揃えには正親町天皇ご台臨のもとに行われ、天下人としての信長の威勢を誇示する大観兵式で

あった。

柴田勝家(1522-1583年)
sh.柴田勝家 03

前田利家もこの時は越前衆として、柴田勝家たちとともにこれに参加したという。

その隙を狙って、越中の土豪や地侍たちが越後へ、今こそ失地回復の好機なり!

と急報した。

上杉景勝はさっそく兵を繰り出して、魚津・松倉の2城を奪還した。

この時から越中一国は、上杉と織田の2大勢力に分断され、両雄が対峙する場となった。

両雄勢力の接触線であり、境界線であるから、当然、紛争が繰り返されが、合戦となれば、いかに猛将

と称される佐々成政であっても、謙信このかた武勇をもって聞こえる上杉勢に、単独では対抗不可能で

ある。

合戦のたびに織田の北陸方面軍司令官である柴田勝家を始めとして、その子の大名たちもしばしば越

中へ出陣して、対上杉戦に参加しなければならなかった。

前田利家も能登から出馬しては、武功を立てたという。

ume 20120423 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
「本能寺の変」の真相は闇のなかですから、意見が分かれて当然ですよね。
一番説と支持されたのは「理想相違説」でした。

信長は、伝統的な権威や秩序を否定し、犠牲もいとわない手法で天下統一を目指し急進的な改革を進
めようとした。
一方、光秀は衰えた室町幕府を再興し、混乱や犠牲を避けながら安定した世の中に戻そうとしたといい
ます。
光秀は、信長の命とともにその将来構想(独裁者の暴走)をも永遠に断ち切った。しかし、光秀も自らの
手でその理想を実現することは叶わなかった。
ところが、後の江戸幕府による封建秩序に貫かれた安定した社会は270年の長きに渡って続いた。結果
論ですが、光秀が室町幕府再興を通じて思い描いた理想は、江戸幕府によって実現されたという説です。

≪本日の問題≫


                                      <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
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