前田利家 その19 『魚津城落城』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

「魚津城落城」

強力な援軍が去ったので、魚津城と松倉城は甚だ心細い情況になった。

そして松倉城の守兵は、ついに城を放棄脱出すると魚津城へ逃げ込んだ。

「得たりや!」

とばかりに、織田軍はひた寄せに魚津城へ押し寄せた。

魚津城の戦い(魚津市HPよりお借りしています)
uo.魚津城の戦い

その後、上杉軍は篭城戦を展開し両軍が決死の攻防戦を繰り広げたが、開戦から3ヶ月後の6月3日に落城

を悟った山本寺孝長・吉江宗信・吉江景資・吉江資堅・寺島長資・蓼沼泰重・安部政吉・石口広宗・若林

家長・亀田長乗・藤丸勝俊・中条景泰・竹俣慶綱ら上杉方の守将13人が自刃して果て、魚津城は落城し織田

軍の勝利となった。

こんな逸話が残っています。

景勝が撤退した後、上杉方は落城が近い事を悟った守将13人が自刃する際、自分の耳に穴を開けて、自分

の名前を書いた木札を全員で結び自刃したという。

落城前日の6月2日に、織田信長が明智光秀により討たれ(本能寺の変)、織田軍指揮官の柴田勝家に急報

が入ったのは落城の翌日6月4日であり、この急報があと1日早ければ、守将自刃の悲劇は起きなかった。

sakura 20120425 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 諏訪四郎勝頼
         信濃への領国拡大を行った信玄の庶子として生まれ、当初は諏訪氏を継いだため、諏
         訪四郎勝頼、あるいは高遠城主だったため伊奈四郎勝頼ともいう。
         武田氏の正嫡である武田義信が廃嫡されると継嗣となり、1573年には信玄の死により
         家督を相続しています。

≪本日の問題≫


                                    <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
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