清盛が名乗った名前

『清盛が実名以外に名乗った名前とは』

前近代のわが国では名前をめぐる事情が大きく異なっていました。

武家の男子の場合は、生まれてくるとすぐに幼名が付けられ、成人すると諱(いみな)と呼ばれる実名を

名乗ります。

また、幼名や諱の他に通称を用いましたが、上級の武士には朝廷から官職や受領(ずりょう)と呼ばれる

公式な職、職名を拝領しました。

さらに雅号(がごう)などを名乗る場合もあり、また出家して法名を称する場合などもあったのです。

清盛の場合は、清盛といったのはあくまで諱で、祖父は正盛、父は忠盛を弟は家盛、経盛、教盛、頼盛

を、それぞれ諱としていました。

武士の家では特定の一字を諱に織り込む習慣があり、これを通字などといいます。

平清盛(1118-1181年)
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以上のことから、清盛ら伊勢平氏が「盛」の一字を通字としていたことが分かりますが、これは家運の隆

盛を祈ってのことでしょう。

のちに、忠盛・清盛父子は腹心の家臣に「盛」の一字を与え、平盛国など名乗らせています。

こういった風習を「偏諱を賜う」、もしくは「一字拝領」といいます。

これは、後の戦国時代などでも多く見られる風習となっています。

有名な平家物語冒頭の「祇園精舎」で清盛は、「六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公」と紹介されて

います。さらにこの平家物語で、清盛は入道相国などという名前で登場することが少なくありません。

この“太政大臣”は朝廷の機関・太政官の長官のことで、朝廷における最高の役職でした。

この他に、清盛は左兵衛佐、中務大輔、参議、右衛門督、但馬守、肥後守、安芸守、播磨守、大宰大弐、

検非違使別当、皇太后宮権大夫、権大納言などの官職を歴任しています。

また、平家物語では、世に出る前の清盛には「六波羅のふかすみの高平太」というあだ名がありました。

高平太は「高下駄を履いた平氏の太郎(長男)」という意味でです。

六波羅というのは、清盛ら伊勢源氏の拠点のあった京都の六波羅のことです。

こういった関係で、清盛は六波羅殿と呼ばれましたが、晩年に出家して仏門に入り、浄海と名乗って以降

は、六波羅入道、平禅門とも呼ばれています。

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≪昨日の解答≫
昨日の正解:黒田長政
        大坂の陣で豊臣方に参陣したのは牢人衆が主であり、豊臣恩顧の黒田長政、福島正則、
        加藤 嘉明などは江戸城で留守居となっています。

≪本日の問題≫



<参考文献:平清盛をめぐる101の謎(川口素生暑)>
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